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[2008/03/02]

『生と死』講演会報告

 今日は作家たつみや章として、打越老人会(銀友会といいます)の例会で講演をしました。

 演題は『生と死について』

 いわゆる「お迎えが近い」年頃の会員さんたちに、いずれは来る『死』という問題と正面から向き合って、考えてもらう機会を作りたいという、銀友会会長さんからのご依頼で、不肖ながら私なりの生死観を話させていただきました。

 切り出しは、「私は、自分が死んだら、三途の川の向こうで待っている(はずの)夫と再会できると、楽しみにしている」という持論。

 それは、28歳で夫を亡くした私の、寂しさ心細さを支えてきた一方的な『あの世デート』の約束で、もしも霊魂が存在しないなら、実現はあり得ないファンタジックな思い込みということになりますが、私はあながち妄想ではないはずだと思っています。

 そしてまた、日本人の伝統的な観念だった「肉体は死んでも、魂はあの世で生き続ける」「この世で別れた人とも、あの世で再会できる」という生死観を信じてみたって、べつだん実害はないでしょう? ともお話しして、(そうだよね)といううなずきをいただきました。

 まだ死に直面した経験がない私が、こういうことを断言して(大丈夫かいな)と思いもしますが、じつは私は『死』を怖いとは思っていません。

 肉体とは別の次元の『私』である霊魂の存在を、なんとなくながら確信している私にとって、『死に方』は若干気になりますが(残酷に殺される・とかは、やっぱりいやですわ)、死とは「単なる霊界への転移であり、終わりではなく始まりである」と思えるので。

 むろん、いざそのときが来れば、たぶん多々あるだろう身辺整理のやり残しが気にかかって、多少はジタバタするかもしれませんが、そこはもう、あとは野となれ山となれとあきらめるしかないんで。
 あとは頼むぞ、子どもらよ。皆さん、よろしく、ラリホ〜・・・って感じ?

 そんなお話をさせていただいた講演会、締めくくりのご挨拶で会長さんが言われた、「皆さんのお顔がおだやかになっている」というご感想は、なによりのご褒美でした。

 死ぬこと自体は怖くない私でも、現世での残り時間が少ないことへの焦りを感じることはあります。
 ましてや、来世を信じられない「理知的な」日本人になってしまっている高齢者の方々にとっては、死への恐怖は深甚なものでしょう。

 でも、いくら目を背けても、『人間の死亡率は100%』(養老孟司著『死の壁』より)なんです。

 ならば、魂やあの世の存在を信じて、『死』は終わりではないという希望を胸に、そのときが来るまで楽天的に前向きに生きる、という方針で行こうじゃありませんか、という私の語りかけが、そうしたふうに功を奏したのならば・・・
 こんなうれしいことはありません。

 ちなみに今回の講演の参考図書は、『死の壁』と、『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(内山節著・講談社現代新書)でした。
 



 


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