ディスカバー図書館inとっとり
「進化する図書館〜その豊かな可能性を求めて」
日時:平成17年10月11日(火) 12:50〜16:40
会場:鳥取県民文化会館 小ホール
「図書館は民主主義のとりで」 鳥取県知事 片山 善博 氏
皆さん、こんにちは。今日は、「ディスカバー図書館inとっとり」に多くの皆さんにご参加いただきましてありがとうございます。私も図書館というものの重要性をかねてより痛感している者の1人でして、恐らく今日お越しの皆さん方も同じ気持ちだろうと思います。
今日は私も話をさせていただきますが、後でパネルディスカッションもありますので、どうか日ごろ皆さん方が思っている図書館に対する気持ちをさらに深めて、それからまた新しい図書館についての意欲を持つ、そういう機会にしていただければと思っております。
今日は、私は1時間少しの時間をちょうだいいたしまして、「図書館は民主主義のとりで」というタイトルでお話ししますが、その前に、今我が国の図書館の現状はどうなっているのかということの所感を少し述べてみたいと思います。これについては、恐らく後のパネルディスカッションで各パネリストの皆さんからその現状なり一端なりのご報告があると思いますけれども、私の印象を少しお話し申し上げますと、私は実は、我が国の図書館はだんだんいい方向に向かっていると思っていたんです。といいますのも、ちょっと手前みそになるかもしれませんけれども、私が見たところ、我が鳥取県立図書館がだんだんよくなってきているものですから、そのことの印象が強くて、図書館の仕事、役割もだんだん重たいものになって、しかも活躍の舞台も広がっているという印象を持っていました。 それから、私自身が他県の自治体なんかの話を聞くときに、例えば滋賀県の自治体の図書館の話がよく出てまいります。愛知川でありますとか能登川でありますとか、そういう話を聞くと非常に素晴らしい図書館が随所に出てきたなという感じを私も持っておりましたし、先般は伊万里市の市民図書館にお邪魔する機会がありまして、そこでも素晴らしい図書館を自分の目で見てまいりまして、「ああ、やっぱりいい図書館が出てきたな」という印象を持っております。それから、私は以前東京に住んでおりましたときに、老後はいい図書館のある所に住みたいと思っているものですから、暇を見ていろんな図書館を見に行ったりしました。以前住んでいた三鷹市立図書館なんかもいいですし、千葉県の浦安市立図書館も見に行きまして、こういう所に住んだら老後はいいだろうな、ディズニーランドもあるしと思ったりもしていて、そういういい所をいろいろ見ていましたので、我が国の図書館はだんだんよくなっているなと楽観的に思っていたんですが、最近どうもちょっとそれは違うという思いを深くしております。一つは、図書館に非常に造詣の深い方、特に地域図書館に造詣の深い方から、面識はなかったんですけれどもお手紙をもらったりすることもあるんです。それも1人とかというわけではなく、複数の方からもらったりするんですけれども、それを拝見してみますと、我が国の図書館というのは非常に危機的状況にあると。自治体の首長、知事とか市町村長で図書館のことを一生懸命思って発言したり行動したりしている人はごくまれだと。その方が言われるには、市町村長さんの中には何人か知っている人がいるけれども、全国知事会の47人の知事の中で図書館のことを言っているのはあなただけだ、だから頑張ってくれと。こういうのをもらいまして、そうなのかなと思って、私の所の図書館関係者に聞いてみますと、全国的な、例えば図書館に費やす予算の推移ですとか、先程も文科省の課長さんからお話がありましたけれども、指定管理者制度導入に向けての動きとか、そんなのを見てみますと、私が想像していたように日本の図書館がだんだん隆盛を極めていくということとはちょっと程遠いなという感じを受けまして、今は「これは大変だ」と認識しているような次第です。
そこで、こういうときに私はよく図書館の重要性について力説するところから話を始めることが多いんですけれども、今日お集まりの皆さん方は図書館の重要性を重々承知の方ばかりですから、図書館がいかに重要かということを私がここでお話ししても多分「釈迦に説法」でしょうから、それはちょっと置いておきまして、なぜ日本の図書館が惨たんたる状況なのか。そう言うとちょっと語弊がありますけれども、我々が思っているように社会一般、特に自治体行政の中で重んじられないのかという、そこのところに少し焦点を当ててお話ししてみたいと思います。全国には半分以上の自治体で図書館のない市町村があるわけです。最近図書館がない自治体が減ったということで、これはいいことだなと思ったら違うんですね。合併をして分母が減っただけのことなんです。図書館のある所とない所が合併して、2つが1つになったら、図書館のない自治体が1つ減ったことになるわけです。当地でもそうでありまして、9つだったでしょうか、合併をしましたけれども、図書館のない自治体が6つほどあったんですけれども、結果的にはこの広い地域は全部図書館があることになってしまいました。1つの自治体になりましたから。そういうことで、統計上は図書館のない自治体が随分減ったことになっていますけれども、これは合併のトリックでして、図書館に縁のない地域というのは依然として日本の中のかなり広い面積を占めていると思います。そういう所の自治体の首長さんとか議員の皆さんなんかにこういう所に来ていただいて、私の話とか図書館関係者の皆さんの熱い思いを聞いていただくと本当に効果があるんですけれども。ひょっとしたらそういう方々に話しても、言いにくいですが「馬の耳に念仏」というのがありまして、それでは困るんですけれども、いずれにしてもそういう実情をどうやったら覆せるかというヒントのようなものもお話しできればと思っております。
図書館はこんなに大事なのに、手抜きをしている自治体が多い。手抜きをしているというのは、そもそもない自治体。これは元から手抜きをしているわけです。それから、あるにはあるけれども、あるだけ、単純な貸出業務だけをやっているとかですね。これもないよりはいいですけれども、本当はもっと力を入れなければいけない。そういう状態ですとか、今までそこそこやっていたけれども、いろんな事情で予算なんかを縮小する、スタッフも減らすというような所も実はあるわけです。なぜ図書館というこんなに重要な行政の分野を粗末にするのか、ないがしろにするのかということなんですけれども、いろんな説明があるんです。口実と言ってもいいかもしれませんけれども。皆さん方もよく聞かれると思いますが、最近一番多いのは財政難ということです。財政難なので図書館にお金を出す余裕がありません、という所が多いんです。実際に、図書館の予算は2割カットとか3割カットとか、そういう所もないわけではないと思います。
この「財政難だから仕方がない」ということについてどう考えるかということです。そのときに、財政難だから仕方がありませんね、切られてもしょうがありません、新刊本を買う予算もありません、といってそのまま受け入れてしまうかどうかということなんです。やはり、財政もきちんと冷静に分析してみなくてはいけないんです、本当かどうかということを。多かれ少なかれ、本当に財政難です。鳥取県だって大変な財政難です。それはもう確かなんです。今、私の所で、税収が1年間に500億円ありません。県民税ですとか自動車税ですとか。ところが、過去の借金の返済、これが非常に重荷なんですけれども、これが今年度で640億円あるんです。ですから、県民の皆さん、各企業の皆さんから納めていただいた税金を100億円以上上回る金額を銀行その他の金融機関に返さなくてはいけないという、こういう惨状、ありさまなわけです。ですから、財政難なんです。
では、この財政難は何でなったのかということなんですが、図書館にお金を使い過ぎたから財政難になりましたということはまずありません。そういう自治体があったらお目にかかってみたいですが、まずないと思います。どうしてこんな財政難になったかというと、それはもう明らかなんですけれども、かつて、バブルが崩壊して景気対策をしなくてはいけないという時代がありました。今から10数年前ですけれども、そのときに毎年大量のハード事業をやったんです。ハード事業というのは、例えば公共事業なんかが典型的ですけれども、道路をつくったり橋を架けたり、大きな建築物をつくるとか、こういうのをハード事業と言うわけです。それに対して、図書館の図書購入費なんかはハード事業とは言わないんです。図書購入費なんかはソフト事業と言うんです。いやいや、ハードカバーの本を買うからといっても、それはハード事業ではなくソフト事業なんです(笑)。それから、例えば司書なんかの給料がいりますが、こういうのもソフト事業というわけです。日本の地方財政を悪くしたのは、ハード事業を徹底的にやったからなんです。しかも、そのハード事業というのは、すべて借金でやったわけです。国の場合も建設国債といういろんな借金をしていろんな事業をやったんですけれども、地方の場合も地方債という借金をしてやるわけですけれども、それはすべてハード事業なんです。図書館の本をもっと買いたいから借金をしてとりあえず買いますなんていうことは、実はできないんです。ソフト経費は借金では賄えない。ソフト経費は現ナマをそろえないと事業ができない。しかるに、ハード事業は借金をしていくらでもできるというのが我が国の地方財政。国の場合も似たようなものかもしれませんけどね。そういう掟があるわけです。これももっと付言すれば、日本の地方財政というのは基本的にハード偏重になっているということなんです。ソフトは少し軽視してハードを偏重してきたというのが、日本の地方財政の今日までの姿なんです。何でそんなことになったんですかというと、戦後の混乱した時代、物が足りない、施設が足りない、道路の舗装率が悪い、そういうときにどんどん施設を整備していきましょうというところから戦後の地方財政が始まりましたから、それが頭にこびり付いてトラウマのようになっているわけです。こうやって今経済発展して、施設もかなりいろんな所にできて、舗装率もよくなったんですけど、やっぱり原型というものが頭の中にこびり付いているものですから、いまだにハードをやるのは善でソフトをやるのは悪、とは言いませんけれども、あまりお薦めできないというのは、実はそういう地方財政の構造が我が国には現前としてあるんです。ついでに言っておきますと、例えば、合併しなさい、合併しなさいといって合併を支援するためのいろんなアメも用意されていたんです。「合併したらお得ですよ」「得だから合併しようか」と合併した所も随分ありますけれども、そのときにアメを配るんですが、そのアメを何に使うかというと、やっぱりハード事業なんです。教員の数を増やしますから、合併したら教員の数を増やす有利な制度がありますかといったら、そんなのはありはしません。合併したら図書館の図書購入費を増やしたいけど、そこにアメがありますか、そんなものはありはしません。ですから、ハード事業にはアメがあるということで、これは今日に至るまで現前としてあるわけです。ちょっと脱線しましたが、とにかく財政難は確かなんですけれども、その財政難の由って来たる原因というのは、実は図書館には責任はないわけです。それは専らハード事業の借金のツケを払わなくてはいけないというので、今非常に苦しんでいるということです。
では、その財政難の中で、やっぱり図書館の経費、図書購入費なんかを減らさざるを得ないということになってしまうんですかというと、実はそれはそうではないんです。実は、財政難は財政難で全国財政難なんですけれども、どの団体でも必要な経費はちゃんと賄えるように仕掛けがしてあるんです。「どの団体でも」というのは一部例外がありまして、例えば倒産した所は例外です。民間で倒産するというのは、地方団体の場合は財政再建団体に転落すると言うんですけれども、その財政再建団体に転落した団体は地方自治とか地方財政の原則が凍結されて自治権が制約されますので、これはちょっと例外にしておきまして、そうでない団体は、教育だとか図書館も含めてですけれども、必要な事業に費やす標準的な財源というのはちゃんと確保されているはずなんです。今、全国の自治体の中で、さっき私が言った倒産のような再建団体というのは今のところありませんので、ということはすべての団体で教育や図書館に要する経費というのは標準的に使える。ものすごくいっぱい、人一倍使うというのは無理かもしれませんけれども、標準的なガイドラインに従って経費を使うということは、実は地方財政の上では保障されているんです。どうやって保障されているかといいますと、これも詳しいことを言いますと非常にややこしくなって長くなるんですけれども、我が国には地方交付税制度というのがありまして、その地方交付税制度を通じて標準的な事業、自治体にとって必要な事業は大体やれるように案配されているんです。ですから、図書館なんかも、どの自治体にも地域図書館があって、そこで全国平均的な図書館のための予算を使うということはできる仕組みになっているんです。
では、うちのまちは図書館がないけどそのお金はどうしているんだろうかということを疑問に思われますでしょう? 大いに疑問に思ってください。それはどこかに猫ばばされているんです。猫ばばという表現は人聞きが悪いかも知れませんけれども、どこかほかの所に使い回しをされているわけです。それはどこかは分かりません。それは、一概に悪いとは言えないかもしれないです。例えば、地域図書館はないから図書館には使っていないけれども、別途子どもたちの教育を充実しようということで使っているかもしれません。経験上あまりそういう所はないかもしれません。職員の給与に使っているかもしれませんね。職員の給与が標準より単価が高いとか、人数が多いとか、そういうのに使っているかもしれません。それから、公共事業なんかにもっと使っているかもしれません。それは分析してみないと分かりません。しかし、少なくとも標準的に図書館に必要な経費を投入する、それだけの財政基盤は実はちゃんと保障されているんです。これは地域図書館もそうですし、学校図書館の図書購入費なんかもそうなんです。ぜひ自治体の方も、特に図書館関係者の方、それから住民の皆さんも、我がまち、我が自治体の図書館に要する経費、費やしている経費と、先程私が説明しました、地方交付税上想定されていてちゃんと使えるだけの余力を持って措置されている額とを比べてみてください。どちらがどうかというのを。そうすると、我がまちは図書館にお金をちゃんと使っているなとか、標準よりもたくさん使っているなとか、猫ばばしているなとか、まるっきり使っていないなとか、それがよく分かります。私は、これが今まであまり問題にされていないのが問題だと思っているんです。実は問題にされている所もあるんです。図書館関係者の協議会なんかで、ホームページなんかに、自治体の予算をちゃんと分析してみようと。交付税の基準財政需要額と言うんですけれども、交付税の中で想定されている図書館に使える経費とを比べてどちらがどうかというのを見て、ちゃんと要求していこう、なんていうのがホームページに搭載されている団体もあるんです。だけど、あまり大きな力になっていないですね。だから、私はあえてここで申しますけれども、図書館関係者の皆さん、自治体の図書館関係者の皆さん、それから図書館を愛する住民、市民の皆さんは、手間でも、ぜひ一度比べてみてください。すぐ分かりますから。役場に聞いても分からなかったら、県の地方課とか市町村課という所がありますから、そこに聞かれるとすぐ分かります。それぐらいの労をぜひ取ってみてください。実はその辺が、図書館に対する予算がちゃんと投入される第一歩だと私は思うんです。それをぜひやってみてください。「猫ばばは許さない」という、分かりやすい言葉で自治体に迫ってみてください。
では、猫ばばは悪いかといいますと、猫ばばしている人たちの名誉のために言っておきますけれども、これは犯罪ではないんです。悪でもありません。なぜならば地方交付税は、補助金なんかと違って何に使ってもいいということになっているんです。では、交付税で積算されてちゃんと案配されている額って何ですかと言われれば、それは、自治体に地方交付税をいくら配るかというときの一つの目安なんです。要するに、目安のパーツの一つなんです。例えば、教育にはいくらぐらい掛かるでしょう、道路行政にはいくらぐらい掛かるでしょう、福祉行政にはいくらぐらい掛かるでしょう、図書館経営にはどれぐらい掛かるでしょうというそれぞれのパーツごとの目安を計算して、その目安を合計したものを自治体に交付税として配るんです。今度はそれを何に使うかというのは、実は自由なんです。ですから、猫ばばというのはちょっと人聞きが悪いと申しましたのは、他人の物をポケットに入れて悪いことをしているという意味ではないんです。ちゃんと使っているんですけれども、本来ならば図書館にこれぐらい使ってもいいのになというのがどこかに化けてしまっているという、そういう意味なんです。私は、自治体は図書館なんかにもっと金をつぎ込んだほうがいいと思います。ですから、あえて言うんです。本当は、交付税を何に使え、何に使うなというのは言うべきことではないんですけれども、今の我が国の現状を見ますと、日本の将来を考えた場合図書館にもっと力を入れたほうがいいと信じておりますので、あえて猫ばば論というのを申し上げているわけです。
自治体が図書館の経費を削減したりするときの口実の2つ目に、図書館って本を好きな人の趣味のための施設でしょう、趣味にお金を使うなんていうことは行政としてはしません、趣味は自分の金でやってください、こういうことを言われる所も結構あるんです。聞いたことがあるでしょう。これも一定の説得力はあるんですが、皆さんはどう思われますか。私は、これは間違っていると思うんです。二重の意味で間違っていると思うんです。それは、図書館は読書が趣味の人に本を提供する所だと思っていたら、図書館というものに対する認識が全く間違っている。図書館は、趣味の人に本を無料で貸し出すという場ではないんです。いや、そういう場でもあるんですが、それだけではないんです。それは図書館の一つの局面であって、本当の図書館の意義というものを理解していないとしか言いようがないですね。図書館は、読書が趣味の人たちのための無料貸本屋さんではないんです。「図書館とは何ぞや」というのは、皆さんそれぞれ図書館関係者の方で「釈迦に説法」ですのであえて申しませんけれども、例えば、図書館というのは自己を確立する、自分を形成する、自立する、そういう機会を得ることができる場なんです。その中の一つに生涯学習というのがあったり趣味があったりしていいですけれども、図書館は読書が趣味の人たちのためだけの施設ではありません。そういう認識不足があります。
もう一つの間違いというのは、そういう自治体が趣味に金を使っていませんかということを聞いてみたらいいと思うんです。例えば、デラックスなスポーツ施設をつくっている、巨大なサッカー場をつくっている所があるんです。ワールドカップで。莫大な金を使っています。ああいうスポーツ施設だって趣味の人は結構いるんです。スポーツは趣味でも金を投じるけれども読書は趣味だと駄目というのは、ダブル・スタンダードなんです。どちらの趣味がいいとか悪いとか言いませんけれども、趣味だからということを口実にして予算を付けないというのはもう一方のところで必ず破たんする、要するに二重基準ではないですかということ。そういう自治体ではこれを言ってあげたらいいと思います。でも、究極のところは、読書を趣味としている人たちだけの施設ではありませんから、まずは図書館の本来の意義を自治体の首長さんとか議員さんにちゃんと認識してもらわなければいけない。そこから始めなければいけないと思います。
それから3つ目に、もう図書館の経費を削ったっていいじゃないか、行ったらいっぱい本があるじゃないか、本だらけじゃないかというような自治体もあります。皆さん方の所はないでしょうか。図書館に行きましたら、本は確かにあるんです。けれども、本があるからといって、当面財政難だから新刊本を買う予算を止めていいかというと、これは絶対駄目なんです。これも図書館に対する認識がないんだと私は思うんです。本さえあればいい、中身は問わない、冊数主義といいますか。これは時々役所でも注意しなくてはいけないんです。何冊あるかという統計調査なんかすると、古い年鑑があってもそれがちゃんと1冊に数えられていたりする。だけど、何の役にも立たない。訓詁学的意味はあるかもしれませんけれども、現代の資料、情報としては全く役に立たない、だけど図書館の蔵書数に含まれている。こういうのはよくありますので間違えないようにしなくてはいけないと思うんですけれども、図書館は「進化する図書館」ですが、進化する前に図書館は日々生きているわけです。「生きた図書館」なんです。生きた図書館なのに図書購入費がないということになると、新陳代謝が行われませんから死んでしまうんです。人間の体とか細胞と一緒で、常に栄養を補給しなければいけない。今、人間の体には細胞があります。あるからいいじゃないかといって栄養を取らなかったら、死んでしまうわけです。似たようなものだと思うんです。やっぱり図書館も生きていますから、日々栄養補給をしなければいけないということです。先程開会のあいさつのときに、私どもの教育長のほうから学校図書館の話をちょっとご紹介申し上げていたと思うんですが、司書を常勤化したら、学校によっては本当に数倍の貸出冊数になったと。これは事実なんですが、もう一つ、学校図書館もそうなんですけれども、図書購入費を付けて新刊本を買うと、子どもたちはそれに興味を持って新刊本を借りてどんどん読むようになるという、そういう傾向もやっぱりあるんです。古い本だらけだったらなかなか図書館の本を読もうという気にならなかった子どもたちも、新刊本が入って自分たちが興味を持つような本があったら、それを一つのきっかけにして、動機付けになって本に向かうようになるということもやっぱりあるんだそうです。まあ、当たり前のことだと思いますけれども。それやこれやで、冊数があるからいいじゃないかというのは理屈になりません。図書館は生きている、生きている図書館にはちゃんと栄養補給しましょう、そういう反論をぜひしていただきたいと思うんです。
それから、市民のニーズがないということもよく聞きます。一部の人が図書館、図書館と言うけれども、市民にはニーズがないと。これはいかがでしょうか。実際にニーズがないかなと思われる地域もあるかもしれないですね。皆さん方はどう思われますか。わーわー、図書館、図書館と言っているのは一部の人だけで市民のニーズはないよ、本当に本が好きな人は図書館に行かないで自分で本屋で買って読んでいるはずだ、というようなことをよく自治体の首長さんなんかから聞くことがありますが、これは私は間違いだと思うんです。確かに一見ニーズがなさそうに見える地域もあります。鳥取県内でもありますけど、供給がないのでニーズが潜在化していって、顕在化していないだけだと私は思うんです。もっと分かりやすく言えば、図書館というものがあってもそれを自分たちが自由に利用できるという味をしめたことがない人たちばかりの地域だったら、やはりニーズというのは顕在化してきません。けれども、それをもってして「図書館に対するニーズがないな」と断定してしまうのは、全く間違いだと思います。話はちょっと飛躍するかもしれませんが、今司法制度改革というのを政府のほうでやっていまして、私はこれは非常に重要な社会改革だと思って、県のほうもこの司法制度改革には、広報ですとか、随分側面支援をしているんです。この司法制度改革の中で一番取り上げられるのが例の裁判員制度で、そうなると嫌だなとか、あんなものにかかわりたくないとか、そういう話ばかりになっているんですけれども、実はそれは一つの側面であって、司法制度改革の重要な面は裁判を身近にしましょうということなんです。日本は裁判は嫌っていますよね。「裁判ざた」とかといって、なるべく裁判を避けるように、避けるようにするんです。でも、そのことによって、例えば人間関係もどろどろになってしまってトラブルの解決ができなくなって、もう顔も見るのも嫌というぐらいならいいんですけれども、憎しみ合って殺す寸前ぐらいになってやっと裁判にいくという、それが「裁判ざた」なんですけれども、それは本当は健全な社会ではないんです。お互いがちゃんと理屈と権利に基づいて主張して、それで決着つかなかったら、殴りかかる前にもうあっさりとアンパイアに任せましょうと。これが司法制度改革の一番のポイントだと私は思っているんです。そのためには何が必要ですかといったら、裁判を迅速化しなくてはいけないとか、分かりやすくしなくてはいけない、アクセスを容易にしなければいけない。それから、取り次いでくれる法曹、弁護士とかの数を増やさなくてはいけないということが課題になっているわけです。実は、弁護士の少ない地域が多いんです。法曹過疎と言うんですけれども、当鳥取県もそうなんです。弁護士が少ないんです。今一生懸命増やそうとしているんですけれどもね。弁護士が少ないと、訴訟案件が少ないんです。それをもってして、ニーズがないから弁護士が少ないんだと言われるんですけれども、違うんです。潜在化してしまっているんです。弁護士を頼もうと思ってもいないですから。頼みに行ってももう手一杯で、「あなたはちょっと来年にしてくれ」とか言われたら、もう無理なんです。だから、弁護士がいない所は裁判が少ない、それはニーズがない、これは全く間違いなんですね。実は、弁護士が増えれば潜在化していたニーズがどっと増えるんです。私の所も順次弁護士を増やしている。私が増やしているわけではないんですが、弁護士が増えているんですけれども、増えても増えてもどんどん忙しくなるんです。図書館もそれと同じことだと私は思うんです。ちゃんとした図書館が地域にあって身近な所で利用できるようになれば、今まで明らかになっていなかった市民、住民の皆さんの図書館に対するニーズ、要望というものが一気に出てきます。だから、自治体がサボって地域図書館をちゃんと整備しないでおいて、「うちはニーズがない」といってたかをくくっているとしたら大間違いだと私は思います。まず供給をしてみればニーズがどっと出てくる、そういうものだと思います。寝た子を起こさなくてもいいじゃないかと言われますが、こういう場合は寝た子はどんどん起こしたほうがいいですね。図書館をつくって、図書館に対する潜在的なニーズ、今「寝た子」ですからこれを顕在化させる。どんどん起こして、図書館というものをもっとみんなが日常利用できるようにする、そういう社会にしたいものだと思います。
図書館に力を入れない口実に、こういうのもあるんです。先程の「市民のニーズがない」というのと似たようなことなんですけれども、図書館にお金を使っても市民は全然喜ばないと。首長さんというのも人気商売ですから。人気商売っていうのも変ですが、やっぱり選挙というものがありますから、市町村長さんなんかもできれば人気が出る、喜ばれることをやりたい。そこで図書館というのはどうだろうか、図書館に力を入れたら有権者の皆さんが拍手を送ってくれるかどうか。それはやっぱり首長さんにとっては気になるところだと思うんです。ですから、そう言われるのも一理あると思うんです。それはいかがでしょうか。皆さん、どう考えられますか。図書館に行政がお金を使っても市民が喜んでくれない、拍手をしてくれない、そんなものよりもっとほかに金を使う所があるだろうという話なんですが、これはいかがでしょうか。皆さん方の身の回りで、感覚としてはいかがでしょうか。当たってますか、当たってませんか。私は、率直に申し上げて当たっているところもあると思うんです。当たっている地域も。だってそうでしょう、皆さんも自治体の議会に行ってみていただくと分かりますが、住民の代表である議員の皆さんが、「もっと図書館の経費を増やせ」なんていうことを日常言っている議会というのはまれです。恐らくは、もっと公共事業をやれとか、もっと農業に金を使えとか、そういう声のほうが圧倒的に強いんではないかと思います。かくいう我が鳥取県議会も、かつてはそういう面がないわけではなかったです。最近は全然違います。だから、最近の我が鳥取県議会で一番話題になる案件は教育です。その一環で図書館なんかもしょっちゅう出てきます。ですから、そういう議会ももちろんあるんです。けれども、多くの自治体ではいかがでしょうか。1人や2人は言われるかもしれませんけれども、大勢の皆さんから、ほかのものを削っても図書館にちゃんと予算を使うべきですよという議論が日常行われているかどうか。むしろそうではなくて、そんなことをするよりはちゃんと道路を直したり公共事業をやるほうが必要でないか、そちらのほうに金を回せ、もっと積極的な財政をやれと、こういう声のほうが強いのではないかと思うんです。それを首長さんも聞いていますと、自分の選挙のときはまたこの町議会議員の皆さん、市議会議員の皆さんの世話にならないといけないから、図書館の経費は縮めてでも別の方向にと、こういう話になりかねないんです。そこのところが一つ大きなポイントなんです。
これはまた最後にお話ししますけれども、したがって住民の皆さんが代表を選ぶときにはちゃんとした代表を選ばなくてはいけない。何が「ちゃんとした」かというのはちょっと言いにくい面がありますけれども、要するに自分たちの意思をちゃんと議場でストレートに表現してくれる、そういう人を選ばないといけないということになるんです。現実の話のちょっと悲観的な面を言いましたけれども、要するに首長さんが図書館に金を使っても人気が出ない、市民が喜んでくれないという口実については、一片の真理があるということを申し上げたわけです。現状が正しいということを言っているわけではないんですけれども、そういう面もないわけではないということを申し上げたんです。でも、仮にそうだったとしても、私は、首長さんというのは先導的に、先見の明を持って図書館にもっとお金を使わなければいけない、使っていない所はもっと使わなければいけないということを申し上げたいわけです。しかも、こういう反論もぜひしてみてください。「図書館に金を使っても市民が喜んでくれないから使わないんです」といったときに、「では、あなたは市民が喜ぶ所ばかりにお金を使っていますか。市民が喜ばないような分野にはお金は一切使っていませんか」という反論をしてみてください。これは何が言いたいかというと、大阪市にあったでしょう、闇給与とか、労働組合の闇専従とか、ああいう所に巧妙にいろんな工作を施して闇でお金を使っていました。裏金で。ああいうのを市民は喜んでいるでしょうか。喜んでいませんね。怒っていますよね。やっぱり市民の怒っている所、喜ばない所に金を使っているんです。そういう所には使うんですね。あれは大阪市の事件ですが、実は大阪市だけではないんです。あんなのは大阪市だけかもしれませんけど、多かれ少なかれ闇の部分というのはあると思っていたほうがいいです。というのは、中央政府もそうですが、自治体も公務員の世界で、徹底した情報公開をしていませんから、労使関係の中に何かかんか不都合なことはあるんです。鳥取県は全部オープンにしまして、職員の処遇の問題、給与の実態なんかを全部ホームページに搭載しました。いいことも悪いことも。「わたり」なんてやっているんですが、今かなり正しました。まだ一部残っているんですけどね。そういうものも、県民の皆さんが見たらまゆをひそめるようなものも含めて全部公開しました。そうすると、おかしいじゃないか、何で県職員は退職したときにみんな課長級になっているんだとか。かつてそうだったんです。辞めるとき、みんな課長級になっていたんです。おかしいですよね。おかしいじゃないかと言われて、順次直してきています。あと、いくつかおかしい点を組合のほうと折衝しながら直すべく今協議しているんですけれども、そうやって全部オープンにしていますから、うちはいいことも悪いことも全部闇ではなくなっています。だけど、ほとんどの自治体は闇の部分を抱えています。大阪市のようなひどいのはそんなにめったにないと思いますけれども、多少なりとも闇の部分はあるんです。そういう所は市民が全然喜ばないのに、一生懸命お金を使っている分野なんですね。だから、「市民が喜ばないからお金を使えないんだ」と言ったら、すぐ反論してください。闇給与をやっていませんか、市民は喜んでいないよと。闇専従をやっていないですかと。闇専従というのは、何人までと決まっている労働組合の専従を闇でちょっと増加するとかということをやっているんです。だから、私はよく皮肉で言うんです。図書館に使うお金を議会のほうでやいやい言われて公共事業のほうに使えと言われるんなら、闇図書館費ってつくったらどうですかと。図書館のスタッフを増やそうと思ったら、そんなものは増やさなくていい、公共事業に使えと言われるのなら、闇司書とか。本当は司書の定数は5人しかないけど、行ってみたら闇の司書がいて8人もいた。面白いですね。そのときみんなはどう言うでしょうね。けしからんと言うでしょうか、よくやったと言うでしょうか。そういう闇はいけないんですが、闇給与をやるよりは闇図書館費のほうがいいです。闇専従よりは闇司書のほうがいいです。もし、議会でいろいろ反対があるからできないと首長さんが言われるのなら、そういう皮肉も言ってみてください。お薦めするわけではありませんけれども。なぜ闇というのは給与とかそういうものにしかないのか、なぜ闇は図書館費にないのか。これが日本の自治体を取り巻く知的環境を表しているのではないか、と私は思うんです。これはちょっと皮肉で冗談を申し上げました。
今申し上げましたように、図書館に力を入れていないことの口実というのはいろいろ出てくるんです。ああ言えばこう言う、こう言えばああ言うで。けれども、決定的な理由というのはありません。しょせんサボっているか、認識がないだけなんです。だから、サボらないように、図書館の意義についてちゃんと認識を持つようにみんなで説得をしなければいけない、そういう風潮をつくっていかなければいけない。最大の問題は予算、財政ですけれども、図書館の経費をちょっと増やしたからといって財政が傾くとかそういうレベルではありません。けたが違います。それから、さっき言いましたように、図書館の経費は財政難の中でも一定程度、標準的に使えるように地方交付税制度の中でちゃんと保障されている。だから、使っても財政は傾かないという財源保障がしてあるということ。皆さん、これをぜひ認識しておいてください。ですから、できるだけ猫ばばしないようにということを訴えていかれたらいいのではないかと思います。
私は、日本は図書館というものをもう少し重視しなくてはいけないと思っているんです。これは皆さんと一緒です。何でかといいますと、一つは、私が鳥取県で今行っております政策の一番重要なことで、「知の地域づくり」ということを言っております。我が国の社会というのは、もっと知的なものを重んじる社会にしなければいけない。国もそうでありまして、国の場合は「知的立国」と私は言っているんですけれども、日本は世界から尊敬される知的立国にならなければいけない。「知的立国」とは何かというと、一つは、科学技術を大切にする。日本は資源のない国ですから、人間の生み出す技術、知識、そういうもので国づくりをしていかなくてはいけない。しかも、我が国が生み出す科学技術の力で、例えば地球環境問題であるとか、資源エネルギー問題であるとか、難病なんかの医療問題であるとか、そういうものの解決に大きく世界に貢献する。これは、世界から尊敬される国になるはずだと私は思うんです。それが一つです。もう一つは、文化芸術立国といいますか、文化や芸術を大切にする国にならなければいけないと思います。実は今生涯学習フェスティバルというのをやっていて、その一環なんですけれども、日常文化や芸術に触れる機会がある、親しむ機会がある、実践する機会がある、みんなで文化や芸術を支える、そういう社会にならなければいけない。それは、我々一人ひとりが心豊かに暮らすことができるゆえんでもありますし、すそ野の広い文化・芸術の基礎の中からレベルの高い文化や芸術の作品が出る、それが世界の人を魅了する。これも世界から尊敬される国になるゆえんだと思うんです。それからもう一つは、透明性の非常に高い、開かれた民主主義の国。人権を重んじ、平和を志向する民主主義の国。科学技術を重んじ、文化・芸術を大切にして、透明性の高い開かれた民主主義国、この3つがこれからの日本の進むべき道だと思うんです。それを称して「知的立国」と私は言っているんですけれども、これを実現するためには国民一人ひとりの個というものを確立しなければいけない。ちゃんと自分で学び、そしていろんな知識や情報を総合する力、そういうものを国民一人ひとりが高めていかなければいけない。学ぶ力。
では、これをどうやって実現しますかというと、一つは当然教育ですが、社会基盤としては図書館だと思うんです。図書館で自己形成を図る、自己を確立して自ら学ぶ力を養っていく。それを通じて我が国が知的立国に1歩でも2歩でも近づくという、こういうことを思い描いているものですから、隅々まで図書館機能というものが充足をしなければいけないと私は思っているんです。我が国は、金満国家と呼ばれたり軍事大国と呼ばれたり、土建国家と呼ばれるようなことであってはいけないと思うんです。知的立国を目指す。そのためにはみんなが広い意味で勉強する、自己を高めていく。そのためには基盤が必要で、その基盤の一つが図書館だと思っているものですから、これは多分皆さんとそんなに考えは違わないと思うんです。これが一つです。
それからもう一つは、今日の演題と関係するんですが、「図書館は民主主義のとりで」というのは、今私は知事という仕事をしていまして、地域経営をやっていましてつくづく思うんです。我が国を本当の民主主義の国にしようと思ったら、図書館のような知的拠点が絶対に必要不可欠だということでして、これを皆さんに強く訴えたいと思うんです。それはどういうことかといいますと、私は、日本は非常に情報操作されやすい国だと思うんです。流されやすいと言ってもいいかもしれませんけれども、一人ひとりが自分の考える基礎というものを持っていて、一人ひとりが自分で判断をしていくという力が今のところ弱いのではないか。むしろ、例えば政府の言うこととかマスコミの言うことなんかにさらっと流されていく傾向が強いのではないかという危惧の念を、実は私は持っているんです。それはどういうことか具体的にいいますと、この数年市町村合併の嵐が吹き荒れました。今日いらっしゃっている皆さん方の所で、例えば自分が住んでいる町、または自分が仕事をしている自治体の区域が何らかの形で合併をしたり、これからもうするということが決まっている所、ちょっと手を挙げてみてください。……では、自分の住んでいる所も合併に関係ない、自立します、それから自分の職場がある所も全く合併に関係ありませんという所。……こちらの方のほうが少ないですよね。多くの所で合併ということになっているんです。では、例えば自分の地域が合併した所で、一人ひとりの住民がまちの将来をよく考えて、「あのまちと合併したほうがいいだろう」ということで熟慮の末に、冷静な判断の下に、また主体的な判断の下に合併をしたという自信のある所、ちょっと手を挙げてみてください。……お1人。総じて、あまり考えないで流されて合併した所が多いんですね。合併した所が悪いと言っているんじゃないんです。そうではなくて、私は、今のような結果になるのもむべなるかなと実は思っているんです。といいますのは、政府のほうが合併しようと大号令を掛けたわけです。これは強制はできませんから強制はなかったんですけれども、それでも執ように合併しよう、合併しようということでしたし、合併しなかったらこんな悲惨な目に遭いますというような情報も随分流れました。もう財政が破たんしますと。それからもう一方では、合併をするとこんなにいいことがあります、バラ色ですよ、こういう有利なことがありますよ、あの仕事もできます、この仕事もただでできますというような、そういうものが付いていたんです。本体よりももっと魅力のあるグリコのおまけが付いていたんです。そうなると、どうしても合併したほうがいいなということになってしまうんです。そのときに、いや、合併というのはバラ色ではありません、いろいろ苦難のことがあったり困ることもあったり、バラ色ではなくていばらの道という面がありますよというような、そういう情報がほとんど出ていないんです。政府から一方的に、合併を促進するためのいろんな情報提供が湯水のごとく出てきました。湯水のごとくという表現はよくないかもしれませんけれども、もういっぱい、ふんだんに出てきました。ところが、いやちょっと待てよ、ちょっと立ち止まって考えてみよう、合併ってそんないいことだらけじゃないですよ、物事には必ず反面がありますよということで、きちんとした情報提供というのは成されていないんです。もちろんそういう情報もないわけではありませんでした。学者なんかでそういうことをちょっと書かれたりしている人もおられたし、何より私なんかは、政府の言うことは間違いが多いですよ、まゆにつばを付けて聞きましょうねということをしきりに言いました。でも、やっぱり多勢に無勢です。もし住民の皆さんの中で、政府や県の言っているように合併というのは本当にバラ色なのかな、本当は違うんじゃないかなと疑問に思った人が、当時どこでそういう資料を手に入れることができたか。実はそこが一番問題なんです。どこに行かざるを得ないかというと、やっぱり県や国に行くんです。国のホームページを見るわけです、本当に合併はバラ色なんだろうかと。「大丈夫ですか」と国に聞いたら、「合併はしたほうがいいですよ」と言うに決まっているんです。だって、推奨しているんですから。対抗軸とも私は言うんですけれども、政府というか権力というか、そういう所が一定の思惑とか考え方を持って情報とか資料とかを出すわけです。それが本当かどうかを点検する、裏取りをする、その機能が日本では極端に希薄なんです。皆さん方もちょっと考えてみてください。あの合併の大号令が掛かったときに、それと違うような情報をどこで仕入れることができただろうかということなんです。いろいろ学者もおられましたから、それに反対している学者を呼んできて講演会を開けばいいですけれども、そんなことをしょっちゅうできるわけではないです。例えば、日常的に住民の皆さんとまちの将来を考えてみようと。そのときに出てくる資料は、行政機関から出てくるバラ色の資料ばかり。それで判断したら、合併がいいに決まっているんです。その資料だけ見たら。「いや、待てよ。違った資料がどこかにないかな」と思ったときに、どこに求めていったらいいのか。日本はないんです、そういうことを提供してくれる機関が。
もう一つ例を挙げますと、年金問題が大騒ぎになりました。社会保険庁が腐敗をしている。例えば、社会保険庁の職員の娯楽のために年金保険料が使われていたと。千葉のどこか、鴨川だかどこかのほうにある保養所のテニスのラケットに化けていた。とんでもない話ですね。公用車に化けていた、社会保険庁の職員の住宅になっていた。それはみんな怒りましたが、そんなのは金額としては大したことはないんです。本当にひどいのは、株で6兆円ぐらい擦ってしまったというのもあるんです。以前政府が株価操作、PKO(プライス・キーピング・オペレーション)といって、3月31日の法人の事業年度末に株価をちょっと上げておかなければいけないと。銀行は株をいっぱい持っていますから、銀行の持っている株の価値が下がってしまうと銀行の自己資本比率が下がってしまう。そうすると、株式市況は3月31日は高いほうがいい、なんとかしようというので、では年金資金を導入しようということで年金資金を導入していたんです。それで、社会保険庁のほうで運用の一環として株を買う。どんどん上がればいいですけれども、3月31日を過ぎるとまた下がってしまう。そこで損失が出てしまうわけです。そういうことを実はやっていたんです。そこで、はっきりしたことは分かりませんが、6兆円ぐらい擦っているんではないかと言われているんです。そういうときに、国民年金なんかを当然導入しているんですけれども、国家公務員の皆さんにも年金がありますから、当然いの一番に国家公務員年金資金を導入しているんだろうと思ったら、そういうのは一切使っていないんです。なぜかといったら、危ないですから。自分たちの年金は大事にしなくてはいけないですから、株なんかに投資するのは危なっかしいからちょっと温存しておいて、国民年金のほうをどんどん使っているわけです。これは私が発見したわけではなくて報道されたことですが、それでみんなが年金は大丈夫だろうかと不安になるわけです。不安になってどうしたか。その不安を確かめるというか、どう考えたらいいだろうかというので、どこに情報とか資料を求めに行ったかというと、社会保険庁の前に列をつくったわけです。悪いことをしたというか、失敗をした所が大丈夫だろうかと思って自分なりに情報を集めようと思ったら、実は当の相手の所に行って「下さい」と言わざるを得ない。社会保険庁に行って「年金は大丈夫ですか」と言ったら、「大丈夫です」と言うに決まっているんです。「いや、もう駄目ですよ」とは言えませんから。本当は第三者機関に行って、「本当に我が国の年金は大丈夫でしょうか」と聞いて、「いや、これはこういう問題があるから大変ですよ」というような、そういう情報提供をする場がないといけないんです。例えば、アメリカなんかだったら独立した研究機関があるわけです。だから、そういうところで客観的な、いわば対抗軸としての研究なり情報提供が成されることが多いんですけれども、日本の場合は研究機関といっても、大半のものに官の息がかかっています。官の息のかかっている所に行ったって、官の言うことしか言わない。そうすると、客観的な情報というのは本当に出てこないわけです。客観的な情報を求めようと思っても、求める機関がなかなかないわけです。私なんかも含めて日本の国民は、不幸と言うとちょっと言い過ぎかもしれませんけれども、そういう意味では客観的な情報を得る機会の少ない社会に住んでいるなと思って、こんなことではいけないと思うんです。権力というか、官庁なんかが流すのは本当だろうかといって裏が取れる社会でないといけないんです。それで初めて社会が透明になるし、公正になります。お役所の言うことをそのまま受け止めて、もうこれを信じるしかないんだというのはいけないんです。そんなことをしていたから、戦前は戦争の泥沼に入ってしまったんです。軍部の言うことをちゃんと裏取りしていれば、あんなことになっていなかったはずなんです。裏取りする場所がないんですね。だから、大本営発表の言うことをずっと聞いて、結局国を滅ぼしてしまいましたけれども、実は今日も情報環境としては同じようなことが言えるのではないかと私は思うんです。役所の言うことをだれもチェックしない。マスコミもそのまま垂れ流しますから。
では、どうすればいいのかということなんですけれども、そこで私が期待するのは実は図書館なんです。図書館が権力の言うことばかりを垂れ流すのではなくて、ちょっと待てよと対抗軸としての情報や資料を提供する。例えば年金問題であれだけ大騒ぎになったときに、地域図書館に行けば客観的な年金に関する資料とか情報、社会保険庁に関する分析なんかが用意されている。心配な市民が来たら、これで勉強してくださいといってちゃんとレファレンスに応じることができる。こういう機能をどこかが持たなくてはいけない。私は、それが今一番期待できるのは図書館ではないかと思っているんです。であるがゆえに、「図書館は民主主義のとりで」ということを私は力説しているわけです。
先程、財政難という話を申しました。確かに財政難で、財政難だから合併しなさいという話になったんです。だから、さっきの合併の話なんかも、政府が言うのは財政難だから合併しなさいと。何で財政難なんですかと言うと、我が国の自治体の規模が小さい、日本に3,000いくらも自治体はいらない、だからもっと大きくしなくてはいけないんだ。財政基盤を確立しましょう、これが分権時代の基盤づくりだと、こういう触れ込みなんです。マスコミもそういう論調で書いていますが、本当は違うんです。本当は、さっき言ったように、何で自治体が財政難に陥ったかというと、借金をして公共事業をやり過ぎたんです。何でそんなに借金して公共事業をやったのかといったら、政府の政策に忠実だったんです。10数年前政府は、公共事業をやれ、やれといってしりをたたいたんです。おまえの所は何で追加しないのか、もっと積極的にやれといって、やらない所は呼び出されたりしたんです。あげく借金まみれになって、そのときも、借金して仕事をしなさい、後で交付税で面倒を見てあげますよという話を政府はしたわけです。だから、みんなそれを信じて仕事をしたんです。交付税を上乗せしてあげますよと言われて、実は今交付税を一番上乗せしてもらわなくてはいけない時期なんです。借金返済のピークになっていますから。交付税上乗せをしてもらわなくてはいけない、その一番の時期に交付税大幅削減になっているわけです。政府はうそをついているわけです。だから、政府はそんなことを言いません。自治体が財政難になったのは規模が小さいからだ、自治体がモラル・ハザードだったからだ、これしか言わないです。そうじゃないですよと私なんかは言うんですが、いろんな所で辻説法したって聞いてもらえる人は限られています。私が申し上げたようなことがちゃんと言論として出てきて、それが全国津々浦々地域公共図書館なんかでちゃんと資料提供、情報提供されるようになって初めて政府の言うことの信憑性というものをみんなが確かめることができるようになるんです。そういうことを、私は実は図書館に期待しているんです。図書館の皆さんに期待しているのはそういうことなんです。だから、「民主主義のとりで」ということなんです。
この問題を考えるときに非常に分かりやすいのは、実は自治体の議会図書室というものです。地方自治法の第100条というのがありまして、ここに全国の自治体はすべて議会に図書室を設置しなければいけないという義務があるんです。ですから、行ってみてください、図書室がありますから。ありますけれども、大体開店休業になっているかほこりをかぶっています。私の所も県議会に図書室があって、ご多分に漏れずほこりをかぶっていまして、皮肉ばかり言っていたら議会のほうできちんときれいにしてくれました。本当なら司書を置いてと今話をしているんですが、まだそこまでいっていませんけれども、議会事務局の職員がちゃんと図書室をきれいにして、議員の皆さんの利用の便宜に供するように今用立てていますが、こんな議会図書室は例外だと思います。全国の議会図書室でちゃんと機能している所は、私はまだ聞いたことがない。あるかもしれませんけどね。何で議会に図書室を置きなさいということになっているのか。これは実はアメリカから持ってきた制度なんですけれども、日本は全部図書室を置かなければいけない。日本の地方自治制度を持っていった韓国でも、やっぱり地方自治法に同じことを書いています。図書室を置かなくてはいけないと。私はソウルの議会図書室を見たときに、ちょっと聞いてみたんです、「何で図書室があるんですか」と。そうしたら、「日本の制度がそうなっているので、そのまま持ってきましたから」と言われていましたけれども、何であるのかというのは、まさに「民主主義のとりで」と関連があるんです。といいますのは、議会の議員の仕事というのは、執行部を追及することなんです。執行部が出すいろんな案件、例えば予算だとか条例案だとか、それが本当に住民のためになるかどうかということをチェックするのが議会の一つの大きな役割なんです。執行部の言っていることは本当に正しいだろうか、ちょっとまやかしを言っていないだろうか、首長の都合でご都合主義になっていないだろうか、無駄遣いはないだろうか、そういうことをチェックするのが議会なんです。実はここから先が問題なんですけれども、今の議会の議員さんは総じてどうやっているかというと、執行部を呼んで資料を持ってこいと言うんです。「おれが質問するから、おまえ持ってこい」と。そうしたら、はいはいと言って執行部が持っていきますが、都合の悪いものは絶対持っていきません。これは人情というものです。うそをつく人もいるかもしれないけど、人間はみんな善良ですから大抵の人はつかないとして、だけど、いろんな資料がある中でこの資料を持っていったらちょっと具合が悪いな、それならこれはもう持っていかないことにしようと。それで、都合のいい資料はどんどん持っていくという、世の中というのはこういうもんなんですね。だから、議員さんが質問なんかをして執行部を追及するときに、執行部に資料なんか求めたら駄目なんです。それだけでもう駄目です。では、議員さんはどうやって追及する元手を得るのですか。それが議会図書室なんです。そこに独自の情報基盤があって、本当ならばそこに司書がいなければいけない。そこで質問なんかを中心にする議員活動をするときに、議員さんが必要なのはこういう資料ですといってちゃんと提供できたりレファレンスに応じたりできるようになっている。これが本当の議会図書室なんです。そこで執行部が言っていることが本当かどうかをチェックできる。執行部の知らないことも、独自の情報拠点でもってその資料を調達することができる。それを期待しているのが実は議会図書室なんです。国会図書館も基本的にはそういうことです。これはアメリカから持ってきていますけれども。ですから、実はアメリカでは議会が「民主主義のとりで」なんです。日本ではどう思われているか知りませんけれども、日本でも本当はそうなんです。首長という権力、行政主体という権力をチェックするのが議会ですから、「民主主義のとりで」なんです。その「民主主義のとりで」たる議会の情報拠点、「民主主義のとりで」のとりでが実は議会図書室なんです。もっと活用されなくてはいけないんです、人的にももっと充実しなくてはいけないんです。だけど、みんな安直に当の執行部の職員を呼んで、「おい、おまえの所を質問するから資料を持ってこい」と。こんなことをやっていたら日本の民主主義は駄目ですね。議会が「民主主義のとりで」になり得ません。だから、全国の自治体の議会図書室というものをもっと充実しなければいけない。鳥取県議会を一つのモデルにしましょうということで、今議会に呼び掛けています。
実は、それのみならず私が今着々と準備していますのは、県庁図書室というものです。
10月28日に我が鳥取県庁に県庁図書室がオープンします。これは、そこに独自機関を設けるのではなくて、県立図書館とタイアップというか、全面的な協力を得まして、いわば出店のような形で県庁の中に一つの図書室を設けるんですけれども、これはどういうことかというと、「職員の皆さん、もっと勉強しましょうね」という意味もあるんですが、私の狙いは、今までの日本の自治体の情報環境を変えたいと、ちょっと大それたことを思っているんです。それはどういうことかというと、我々自治体が仕事をする上での資料とか情報は、圧倒的に中央官庁から流れてくるわけです。通達が流れてきて、マニュアルが流れてきて、前例実例集が流れてきて、実務提要が流れてくる。そういうものを一生懸命みんなひもといて仕事をしてきているんです。そうすると、中央政府の思うつぼなんです。思うつぼというとちょっと言い方が悪いかもしれませんけれども、悪意があろうとなかろうと、とにかく中央政府の意図したところにみんなすーっと糾合されてしまうんです。護送船団の極みになるわけです。地方分権というのはそうじゃないんです。地方分権というのは、中央政府の言うことにももちろん耳は傾けます。我が国の中央政府ですからなるほどなと思ってやらなくてはいけないし、国が法律で決めたことはやらなくてはいけません。けれども、過剰に同調してしまうことは決してよくない。地方には地方の自治があって、その地方の実情に基づいて地方が判断をして仕事をしなければいけない。そのときに、例えば法令解釈なんかも、中央官庁の法令解釈は間違っている、そういう視点も必要なんです。間違っていることも多いんです。ご都合主義的な解釈も多いです。護送船団的な解釈がすごく多いです。でも、法律は万人のものですから、我々一人ひとりが解釈すればいいんです。我々が独自にものを考えたり判断したり法令を解釈したりする、実は今我が国の地方自治体にはその基盤がないんです。法律の解釈すら中央官庁の出した解釈本で解釈せざるを得ない。これは、分権時代にはもうそぐわないです。ならば我々も独自の、寄って立つ情報基盤というものを持とうではないかという当然の志を持って、まず最初は小さな一歩からということなんです。ですから、そこに集める情報というのは中央官庁からの実務提要とかマニュアル本ではなくて、例えば他の自治体の取り組み状況。中央政府発の情報ではなくて、他の自治体の情報とか諸外国の情報とか、それから独自に考える基礎的な文献とか、そういうものをしつらえて、そこに日々県職員が行って、司書もちゃんと配属しますのでレファレンスを受けて、自分たちの分権型の仕事がやりやすいような情報基盤、情報環境をつくりましょうということなんです。最初はちょっと小ぶりですからどれほどのことができるか分かりませんけれども、志としては大望を抱いているわけでして、これも「民主主義のとりで」の一環です。
というようなことで、今私自身も自分の所掌範囲の中で、図書館といいますか図書室といいますか、そういうものに力を入れているところなんですけれども、最後に一つ。図書館の活気が出ない、図書館の予算が全国でどんどん削られてしまうということは、実は地域住民の皆さんにとって図書館環境が悪化するということだけではない、と私は懸念しています。それはどういうことかというと、図書館というのはそんなに売れない本もちゃんとみんな買っているわけです。ポピュラーな物でばーっと売れる本はみんなが支えますからいいんですけれども、質は非常に高いけれども、販売部数がすごく少ないという本があります。そういう物を本当にけなげに、一生懸命出版している本屋さんもあります。そういうのをだれが支えているかというと、篤志家といいますか、そういうものに関心のある人たちが全国に1,000人や2,000人はおられますから、そういう人が支えますけれども、それだけでは到底支えられない。それを支えるのが私は図書館だと思うんです。その図書館がどんどん図書費を削っていくということは、そういう良質な出版文化というものが支えられなくなってしまう。「悪貨は良貨を駆逐する」と言いますが、悪い本とは言いませんけれども、質の高い本がどんどん市場から退出してしまう。そういうことになってしまっては、日本の知的水準は随分下がると私は思うんです。出版業界といいますか、出版文化の質の高さを保つためにも、我が国の図書館環境を整える必要があるのではないかと、実はこんなことも思っております。ですから、日本の将来のことを考えてもぜひ図書館関係者の皆さんに頑張っていただかなくてはいけないし、その図書館を支える基盤をつくらなくてはいけない。そのためにはファンをつくらなくてはいけない。図書館の予算が削られたらわっと怒り出すような、そういう人がいなくてはいけない。公共事業を削ったらわっと怒られます。もういっぱい来られます。うちは図書館費は削っていませんから来ませんけれども、仮に図書館費を削っても、多分わっと押し掛けては来ないですね。これではいけないんです。図書館の経費が削られたら、「何でだ、そんなことはおかしいじゃないか」といって声を上げる人が大勢なくてはいけない、そういう知的基盤をつくらなくてはいけないと私は思うんです。ぜひ図書館のファンをつくってください。そのためには子どもが重要です。子どもを図書館におびき寄せる算段。子どもにレファレンスもしてあげてください。宿題のレファレンスなんてしたら、私はいいと思いますけどね。大人にレファレンスはするけど、何で子どもにレファレンスしないのか。子どもが宿題に困って、何かいい資料はありませんか、本はありませんかと言ってきたら、手伝いをしてあげたらいいと思うんです。そうすると子どもは、図書館で自分が悩んでいたことが解決できた、手助けを得て解決できたと。この喜びはすごいと思うんです。大人になったらそれが随分増幅されるんだろうと思うんです。そういうことをぜひやっていただきたい。私はいろんな所で、親子で図書館に行きましょうとお父さんに呼び掛けています。パチンコに行くよりは図書館に行こうといって呼び掛けています。私は6人子どもがいまして、私自身も子どもを図書館に連れて行って、全員ではありませんが、何人かが本好きになってくれました。小さいときに図書館になじんでいるというのは、大きくなっても本好きになることにつながると思うんです。ぜひ本好き、図書館好きを増やしてください。
それからもう一つは、住民として良質な政治を選択するということをぜひ心掛けなくてはいけないと思うんです。図書館を重んじる、図書館の意義をよく認識している、そういう首長を1人でも多く出す。議員もそういう人を出す。私は、かかりつけの議員を選ぼうと言っています。信頼ができて名医のかかりつけの医者がいるように、議員さんも、良質なかかりつけの議員というものを一人ひとりが選ぶような……。そうすれば、もっと図書館を大切にしようという声が大きくなるのではないか。だから、市民一人ひとりが良質な政治を選択していく、これが一番の基礎ではないかと思っております。
教育長の冒頭のあいさつにもありましたが、今年は文字・活字文化振興法ができまして、いい機会だと思うんです。議員立法であまり大騒ぎにはなっていませんが、非常に時機にかなったいい法律だと思って、私の所は「文字・活字文化の日」と法律で定められました。
10月27日にささやかな催し物を始めたいと思っていまして、これから毎年これを続けていきたいと思っているんですけれども、こういう法律をきっかけにしながら我が国の図書館がさらに整備充実されることを期待しているところです。ちょっと時間をオーバーしてしまいました。ご静聴ありがとうございました。
(文責:鳥取県立図書館長 野川 聡)