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熊本市に理想の図書館を作ろう
社会情勢と図書館サービスの課題(2006.01.16)

社団法人日本図書館協会 常世田良氏

 今、図書館というのは冬の時代と言われています。指定管理者の問題も含めて、かなり複雑な状況にあるのですが、今日はレファレンスの研修というふうにお聞きしていますので、レファレンスがどうあるべきか、あるいはどうしてレファレンスが必要なのか、という辺りをお話させていただきます。
皆さんも一人一人の立場で、一緒に考えていただけたらと思います。

日常的な仕事の見直しを

 今日いただいたテーマは、「社会情勢と図書館サービスの課題」という大変大きなテーマですね。
 図書館と言いますと、貸出、レファレンス、児童サービス、リクエストというように、いろいろなサービスがあって、当然それをやるべきことだと図書館員は毎日仕事をしているわけですが、社会が大きく変化しているこの状況の中で、自分のやっている仕事が「このままでいいのか、この仕事を続ける必要があるのか、さらにほかに必要な仕事はないのか。」というような見直しが必要なのではないのかと思うわけです。
 図書館というのは、地方自治が貫かれていますから、設置自治体で勝手に考えなさい、となっていますよね。「望ましい基準」が提示されましたけれども、具体的な数値というものはないわけで、各自治体が図書館政策を作って、その政策に基づいてサービス計画を立て、その計画の実施の評価をしなさい、といわれているわけです。
 そうしますと見直しに取り組まない図書館はですね、十年一日の如く仕事の内容が変わらないという可能性もあるわけ
です。市民からのクレームや、議員から、首長から、教育委員会の上の方から直接、「なんとかしなさい」という声が出て、やっと変わるということになる。
 ですから、内部変革を自分たちでしていけるのか、というのが実は図書館現場の仕事のあり方で一番重要な点なんですね。日常的に仕事の見直しをしていく必要があるし、何のためにその仕事をするのかを常に考えていかなくてはならない。

社会の変化と図書館のあり方

 これまでの日本における行政の仕事の進め方というのは、国が政策を作ってガイドライン等決めてですね、さらに県がいろいろなマニュアルを作り、市町村職員向けの講習会等を開催して、かなり明確にやるべき事が指示されて仕事に取り組むということがあるわけです。図書館の場合は、そういうことはほとんどないんですね。
 しかし、一方で図書館界の有名な本とか有名な人の発言というものが、何十年も金科玉条のごとく大きな力を発揮していますね。たとえば、「レファレンスをやるって事については、もう自明なことなんだ。だって誰々先生が言ってるじゃない。」っていうところで思考停止してしまったんじゃないかと思うんですね。図書館界の中で常識になっていることを、何となく繰り返しているのではないでしょうか。何が忘れられているかというと、やっぱり社会の変化だと思うんですね。
社会の変化がこうなったからこうしなきゃいけない、というような研究はもちろんありますが、その大先輩の言ったこととか、図書館界の常識に反するような試みというものについては、なかなか広まっていかないということがあります。これは非常に危険なことですね。
 明治以来の大変革期と言われているわけですが、それはなにも日本だけではなくて世界的、地球的な規模で、その変化が起きているわけです。
 私は、もっとも影響があるのは、「自己判断自己責任」型社会への移行ではないかと思っています。

「自己判断自己責任」型社会への移行

 皆さん、「政策形成能力」の研修なんて受けてらっしゃいませんか。そのテーマのひとつが地方自治どころか地方主権、それにともなう「自己判断自己責任」型の判断形式ですね、それと説明責任。この辺りがメインになっていると思います。
 東京都の石原知事が再選したときの記者会見で、開口一番、「これから今までよりももっと国と喧嘩するぞ。」という発言をしました。それを聞いたときに「ああ、やっぱり地方自治の時代は本当に来てるんだな。」と感じました。首長さんの中には、従来型の中央とのチャンネルを作ってやっていこうという方も沢山いらっしゃいますけれども、明らかに地方自治の方向でやっていくんだという方もいっぱいいらっしゃるでしょう? 要するに、今は、中央集権的なものから地方分権的な形に移行する過渡期なんですね。過渡期にはどういう事が起きるかというと、混乱です。大きな混乱が起こります。
  今、「自己判断自己責任」型社会へ日本の社会全体として大きく舵を取り始めています。直接きっかけになったのは、国家財政の破綻と思いますけれども、でも民主主義っていうのは、そもそも「自己判断自己責任」です。その中で図書館はどうすべきか、その中でレファレンスをどうしていくのかという視点を是非持っていただきたいと思います。

企業における情報環境の激変

 この「自己判断自己責任」型の社会、いろいろな側面があると思いますが、個人だとか小さな組織のリスクが増加すると思うんです。日本の企業というのは、95%が中小零細企業だと言われています。だから大企業は5%しかない。勤労者の80%以上は、中小零細企業で働いているわけです。今までは大企業があって、子会社があって、孫会社があって、ひ孫会社があってというような巨大なピラミッド構造でした。
ところが、それが今崩れ始めています。
 皆さん、「まいど1号」って、聞いたことある方います?「まいど1号」、人工衛星の名前なんですけれど、テレビで何回か取り上げられました。東大阪っていう地域があります。東京で言えば京浜工業地帯みたいな小さな町工場がいっぱいあるところで、この町工場は、NASAとかボーイング社から注文が来るようなものすごい技術を持っているんです。そういう地域でも仕事が減って、元気がなくなった。
 そこである社長さんが、地域全体の町おこしで、人工衛星打ち上げたら景気持ち直すんじゃないか、と思いついたんですね。みんなすごい技術を持っているんだから人工衛星の一つや二つ簡単に上がっちゃうんじゃないのってね。で、それをテレビ番組が、面白おかしく取り上げているんです。でもそれを見たときに、今お話していた、その系列というものが崩れて、新しい時代にその中小企業が突入していることが見えてきたんですね。
 それは、味噌や醤油の貸し借りや雨が降れば洗濯物を取り込むというような、近所付き合いをしている隣の町工場の社長さんと「一緒にやろうよ。」って話したときにですね、隣の町工場で、こんなにすごいことをやっていたんだって、初めて知るわけですよ。何でだと思います? 縦につながっていたからです。縦系列でつながっているから、系列に入ってなくて関係ないところは、隣の工場でも何をやっていたのか知らなかったわけです。
 それから、人工衛星打ち上げるのには、いろいろな書類を書かなきゃならない。「考えてみたら、今まで俺たちってこういうお役所に出す書類って書いたことがなかったよね。何でだろう?」、それは、全部親会社が書いていたからです。子会社は親会社の工場でしかなかったわけで、一部分だけ任されていた、自立した企業ではなかったということですよ。トヨタの看板方式が典型的でしょ。「これだけの物を、これこれのレベルで、いついつまでに作りなさい。」という指示が提供される、それが看板のようなので看板方式と言われたんですけれども。日本の企業というのは大部分、その系列の上位から指示された物をその通り作ることによって、何とか食べていけるということになっていたんです。
 その系列システムの特徴的なポイントはですね、指示と同時にそれを遂行するために必要な情報が提供されたことだと思うんです。したがって、組織のほとんどのレベルにおいては、自分で情報を収集する必要がなかったんです。さっきの企業の話をしますとね、親会社が持っている特許とか技術を子会社に移転することによって、子会社が親会社の工場たり得たんですから、かなり特異な社会だったという気がしますね。それが崩れて、子会社も自分でマーケティングやらなきゃいけない、書類も作らなきゃいけない、金策もやらなければならない、というような独立した一人前の会社にならざるを得なくなってきたということですね。
 今、お話したように従来では命令と同時にその必要な情報が提供されたことから考えると、情報が来なくなるということです。これは行政もそうです。今までは国や県が全て政策、業務の内容、それに関するマニュアルも含めて情報提供してきたわけですけども、それがなくなる可能性があります。
 例えば、県が国と喧嘩しなけりゃいけない事態が起こるでしょうし、市町村だってそうです。皆さん、これから異動した先で県と喧嘩しなきゃいけない場面に直面するかも知れません。今までは、県の言うことを聞いて、疑問があればお伺いを立てて、「こうすれば良いんですね。」っていうことで済んでいた。これからはそうはいかない。喧嘩する相手から情報は来ない、自分で情報を集めなきゃいけない。情報収集能力に劣る個人や小さい組織が相対的に情報弱者になってしまいます。情報弱者になるってことは、失敗する可能性が増えるってことです。ということは、リスクが増えるっていうことなんですね。
 皆さん、タイムマシンをもし持っていたらね、1年先に飛んでいって1年後がどうなるかって見てきてね、それで帰ってきて判断すれば100%間違いないでしょ。でも我々は残念ながらタイムマシンを持っていないわけです。じゃあ、どうします? なるべく情報を集めるわけでしょ。情報を集めれば集めるほどリスクは小さくなることは、基本的には大原則です。でも今までは必要な情報は与えられてきたので、集めることに慣れていないし、集める訓練がなされていないんです。これが日本の社会が「自己責任」型社会に突入するにあたっての問題だと思います。

出版流通、インターネットの限界

 情報を集めるのが重要で、その情報を集められるシステムが日本の社会では、どうなっているのかっていうことなんですが、皆さんは図書館の現場にいるのでよくお分かりだと思います。
 出版流通のシステムは、日本はかなり破綻していて、好きな本が手に入るということは、一般市民ではかなり難しい状況ですよね。普通の本屋さんで何か調べようと思って、その本に出会う確率は宝くじに当たるようなものですね。年間約7万点の本が出版されていますけれど、1点あたりの刷り数というのが専門書だと500部とか1,000部です。本屋さんは、大体2万軒くらいあるのに、行き渡らないでしょ。
それから7万点も出るってことは、1週間に1,500冊でしょ。1週間に一度配本されるとして、次の週には前に来た本で、売れていない本を返さないと並べられないでしょ。だから本屋さんってどんどん本が変わっちゃうわけです。本屋さんの構造って皆さん分かっていますか? 一番奥の方に「塩漬け」という全然変わらない本があって、一番前にはとにかく今よく売れる本が平積みになって置いてあります。「塩漬け」になってるのと平積みになってる間の書棚にひっそりあるような本、その辺が一番面白いんです。でも、ここが1週間単位ぐらいで入れ替わるんです。ということは、目的の本を探しに本屋さんに行っても出会えないということです。
 インターネットはどうか。本を読まないインターネットも使わない人に限って、インターネットがあればなんでも分かるんだろうっていうわけです。本当にインターネットを使っている人はインターネットがそれ程役に立たないことを知っています。天気とか、何時の電車に乗ればいいんだろうかとか、すぐ検索して…、そういうのには便利です。でも今日みたいな「これからのレファレンスはどうあるべきか」というテーマでね、皆さんインターネットでちょっと検索してみてください。「日本」「図書館」「レファレンス」「未来」…、なんてキーワード入れて。それで「これからのレファレンス」なんて論文の本文が10も20も出てくるようなことがあれば、確かにインターネットは役に立つけれども、そういう網羅的・体系的にまとまった情報は出てこないんです。
 今の社会で我々に一番必要なのは、そういう体系的な、ある分野の全体がどうなっているのかっていう全体像を把握して、それを基に作戦を考えていくことであって、断片的な情報がいくらあったってしょうがないんです。そういうところに大きな誤解があると思います。

日本人の情報収集能力と情報環境

 キャッシュカードから、いつのまにかお金を下ろされてしまうスキミングという事件があります。被害総額は200億とか300億円とか…。で、知り合いの方が被害に遭われた柳田邦男さんは、『キャッシュカードがあぶない』(文芸春秋2004)という本を緊急出版しました。あの本を読んで初めて我々は、この事件の内容を知ることになったわけです。
 で、イギリスではもう何年も前から、こういう事件が起きたら銀行が満額補償するという制度ができていますし、アメリカでは1日で下ろせる最高金額が決まっていて多額のお金を引き出せないようになっています。既に諸外国ではいろんな手が打たれているっていうことを、あの本読んで初めて一般市民が気づいたわけです。200億、300億といったら、小さな国の国家予算ですよ。そのくらいの損害が出ているのに日本の社会においては、そのことを考えるための材料になるような情報さえ、我々には届いていなかった。情報が大量
に溢れているようですが、我々の生活や人生に大変な打撃を与えるような重要な事件についての情報は、ほとんど何一つ、噂ぐらいしか届いていないんです。これ、本当に重要な情報が必要な所に届いていないという、ほんの一例です。こういう状態のまま、「自己判断自己責任」型社会に突っ込んで行ったら、一部の情報を握っている人は圧倒的に有利になってしまって、それ以外の人は、非常に大きなリスクを背負い込む
ということになるんじゃないかと思います。でも、このことについて、ほとんどの日本人は気づいていません。情報は、与えられるものだっていうことに慣れきっているからです。
 日本の社会というのは、非常に安全な社会を作り上げてきたと思うんですね。一人一人が情報を集めなくても、毎日家に帰ってビール飲んで野球見てても、一生何事もなく送れるという社会なんです。必要な情報は与えられる素晴らしい社会。個人的にはこれをやめちゃう必要はないと思います。
 でも、ちょっと考えてみてください。他の国は、自分で情報集めないと、地雷踏んじゃったり、爆弾が飛んできたり、そういう地域がアフリカにもアジアにも南米にもまだかなりあるんですね。アメリカでさえ50ぐらいの州の内、確か一つか二つはまだ州の憲法で人種差別を認めている州があるんです。そんな所に黒人がいい仕事があるからって、うかうか引っ越したらひどい目に遭いますよね。「自己判断自己責任」でそういう情報集めて、みんな自己防衛しているわけです。
そういう地域のほうが、圧倒的に地球上では多いんです。
 皆さん、自分の生活を振り返ってみてください。自分の生活や人生に対して安全を保つための情報を日々集めていますか。就職のときにちょっと情報を集めるくらいで、後はなんとなくベルトコンベアに乗っていって済んでいませんか。
  ところで、皆さん、銀行口座をお作りになるでしょう? 私がこれから言う四つの理由以外で銀行口座を作った人がいたら手を挙げてください。一つ、その銀行に知り合いがいるから。二つ、親戚が働いているから。三つ、家から近かったから。四つ、職場から近かったから。この四つ以外の理由で銀行口座を作った人がいたら、手を挙げてください。― お一人。大体このくらいの人数だったら、お一人ですよね。日本人の銀行の選び方って、かなり変わっているんです。こんな理由で銀行選ぶ民族はほかにないです。家に近いから…。
そのくらい銀行、証券会社、保険会社は国が潰さないという方針でやってきて、安定的な関係と言えばいいんでしょうけども、非常に変わった国なんです。
 ところがペイオフという制度。これからは、銀行の格付け情報というものにも気をつけて口座を作ったり、口座を変えたりする人も出てきます。金融商品も利子の率も銀行によって、すごく変わってくるということです。だから、家から離れているけれども、利子が高いからこの銀行にしようっていう当たり前の銀行の選び方が、これから増えてくるんですね。
今までは、利子も変わらないし、何にも変化しないし、安全性も同じだから、「自己判断自己責任」する余地はなかったんです。
 「自己判断自己責任」型の社会というのは、情報が非常に重要になってくるわけですが、日本の社会は情報インフラが弱過ぎる。それを担保するのは図書館ではないかと思うんです。日本の図書館の長い歴史の中で初めて、国民のお役に立つ情報提供ができる可能性が今、立ち現れて来ているんです。
長期的な視野で、図書館の情報提供機能というのは、社会的に評価される可能性が大きくなってきた。しかし失敗すればほかにとられちゃう。図書館がもたもたしていたら、そういうニーズに対応する組織なり商売なりが立ち上がってくる。
これ、競争ですよ。

アメリカと日本の情報環境の違い

 アメリカは「自己判断自己責任」というコンセプトで200年間やってきた典型的な国です。
 男性は西部劇を思い出していただきたいし、女性の方だったら「大草原の小さな家」を思い浮かべていただきたいんですが、行政なんてないでしょう? アメリカは州政府がだんだん増えているんですけれども、合衆国政府自体はですね、かなり後になって出来たんですよ。まずアメリカ合衆国政府っていうのがあって、それから州政府が出来たんじゃなくて、州政府しか最初はなかったんです。中央集権的な国ではないし、非常に地方分権的な色合いが強い国です。じゃあそういう国で、競争だけでやってきたのか。最初はそうだったでし
ょうね。西部劇なんか見ていても、悪いやつが仲間を集めて町を牛耳ってるなんて…。映画だけの話だと思うでしょう。
本当にあんな話あるんですよ。また、カーネギーが作った自分の会社のネットワークというのは、アメリカ合衆国政府の持っているネットワークよりよっぽど強力だったという話もあります。競争の激しい社会ですね。
 もう一つの側面があって、特権階級が知識・情報を独占して大衆を支配しているというイギリスの階級社会に嫌気がさして、清教徒たちはアメリカに移って国を作ったんですが、その知識・情報は万民のものだというコンセプトが建国の精神の中に色濃くあるんですね。それは、競争もちゃんと競争として成り立たせるためには、競争するもの同士が同じ条件じゃないとフェアじゃないということなんです。
 具体的に言うと、先行している企業が圧倒的に有利で、後発の企業が不利だったら、自由主義経済は成り立たない。日本は自由主義経済じゃないとアメリカ人は言うわけです。先行している企業が圧倒的に有利なのは、日本人の感覚から言えば、当たり前じゃないかって思うでしょう? 彼らはそうじゃないんです。競争というのは同等じゃないと競争じゃないだろうと。
 最も典型的な例は情報でしょう。情報については、平等じゃなきゃ競争にならないだろうというのが彼らの考え方です。
そこで彼らは何を編み出したのか。図書館です。図書館に行けば、基本的な情報は全部手に入ると。その情報を手に入れないで、その気になれば得られるものを得ないで、何か問題を起こしてしまったら、その時点で初めて「それはあんたのせいだろう。」というのが彼らの考え方なんですね。
 今の日本の社会は、必要な情報が届いてない。自分で手に入れようと思ったって、なかなか手に入れられない状況のまま何か起きた。しかしそれは、あんたの自己責任だと言われ兼ねない。
 アメリカの場合はそれを避けたわけです。徹底して情報提供することによって、情報を手に入れる環境を整備する。それで本人が努力しなかったら、それは本人のせいだと言えるだろうと。だから「引っ越したらまず図書館へ」という諺があるんですが、地域のことも、法律のことも、医療のことも、郷土のことも、ビジネスのことも、図書館に行けば何か分かるようになっている。アメリカの公共図書館の運営コストは日本の10倍近いんじゃないかなと思います。人口は2倍なのにコストは10倍です。

「自己判断自己責任」型の地域社会運営とは?

 「自己判断自己責任」型の地域社会運営っていうのはどういうことなのか。わかりやすく言うと、必要十分な選択肢が用意されていますか、ってことです。さっきお話しましたけど、従来型の日本の社会というのは、企業も行政もですね、一つのやり方しか確立されないんです。上から命令が来て、こうやりなさい、それについて必要な情報は与えるよ。これはとっても便利なんですけど、他の視点から導かれた情報は排除される。
 皆さんも長い間仕事されている中で、こういう経験ないですかね。上司から命令されてですね、どうもこの仕事はちょっと変じゃないかなと思って、「こう直したらいいんじゃないですか。」とか、「これはそもそも、うちの自治体の方針に合わないんじゃないですか。」とか。そしたら、「余計なこと言わなくていいんだよ、言われたことだけ言われたようにやれ。」って。日本人だったら大抵こういう経験、一度や二度はしているんじゃないですか?
 会議もそうですよね。もう結論ありきの会議、多くないですかね。もう結論が大体出ていて、アリバイ会議。落としどころみたいのが何となくみんな分かっていて、落としどころにもっていく。
 日本人は農耕社会ですから、みんなが心を一つにして農作業やらないと、地域社会全体がつぶれちゃいますから、みんなで一緒にやろう、というのが何百年も染みついているわけですね。議論はするけれども、最後は用意したところに落ち着く。職場の和を保つにはいいかもしれないですね。
 しかし危険じゃないですか。雪印乳業、西武鉄道、三菱自動車…、トップに必要な情報が届かず、当然出すべきちゃんとした結論も出せなかった典型例だと思います。これは氷山の一角です。
 第二次世界大戦でミッドウェー海戦というのがあって、それまで勝っていた日本軍が、それを境にして負けちゃうという…。もう航空戦になっていて、何十機もの偵察機がものすごい広い海域をお互いの軍艦を捜して飛ぶわけですね。そのときに日本のある偵察機1機のエンジンが故障しちゃって、そこを担当している部分の捜索が残ったんですね。それ以外は全部捜し終えたんですが。しかし日本の参謀は、「これだけ捜したんだから、その辺にはアメリカの海軍はいないんじゃないか。」と判断して作戦を実行したわけですね。ところが何と、その捜しそこなった所にアメリカの航空母艦がいて、そこから飛び立った飛行機に日本は航空母艦を沈められちゃって、そこから負け戦になっていくわけです。
 これはね、経済学なんかでよく失敗の実例として出されることなんですね。つまり、情報を十分に集めない。これはしょうがないですよ、情報が集められないんだから…。問題は、次の段階。不十分な情報しかないまま、自分に都合のいい結論を出す。その二つが揃うと非常に大きなミスに実際なるわけです。
 情報を集めきれない。イエスマンが都合のいい情報しかトップに伝えない。トップが判断を誤る。そういう繰り返しが、さっきお話したような大企業の倒産につながっちゃうような大きな事件になってしまうんです。日本の組織の典型的な例だと思います。今の日本の企業が不況に陥っているのは、いろんな理由が挙げられるけれども、基本的にこのようなことを繰り返してきたところにもあるんじゃないでしょうか。
 世論調査で面白い結果があります。「あなたは、困ったことがあったとき、誰に相談しますか?」という質問に対して、80%以上の人が、知人か家族と答えているんです。どういうことか分かるでしょう? 同じような生活をして、同じような社会の階層にいて、同じようなことしか知らない人に相談するってことです。同じようなことしか知らない人同士で情報交換したってしょうがないじゃないですか。それで事足りてきたっていうことです。しかしそれは非常に危険なことです。同じようなことしか知らない、重要なことは知らない者同士が、知っている情報だけを交換して、ああ良かった、やっぱりそうなんだって言っているだけです。

判断の過程における「相対化」

 物事を考えるとき、その物事を「相対化」するっていう言い方をします。わかりやすく言うと、「だいぶお昼も近づいてきた。今日のお昼どうしようかしら。」と考え出して、「今日はちょっと暑いからそうめんにしようか、でも、暑いからこそ体力をつけなきゃいけないから肉を食べようか。」とか、一つのことについていろんな可能性を考えていくというのが「相対化」です。メニューを広げてみるんですね。そこには、ジンギスカンもあれば、パエリアもあれば、フルコースもフレンチもあるわけです。全部の可能性を並べてみるというのは、完全な「相対化」っていうことです。でも今日のお昼っていうのは一回しかないですね。最終的には一つに絞り込まないといけない。これを「絶対化」って言います。
 我々の人生も「相対化」と「絶対化」を、仕事上でも人生の上でも繰り返しているわけです。ちょっとしたことであるなら、のどが乾いた、お茶にしようか水にしようか…。「相対化」をちょっとして、最終的に水にしようって答えを出して、それを繰り返している。で、問題はですね、水を飲むぐらいだったらいいんですけど、会社の行く末をどうするか、行政のこの分野の政策をどうするか、「相対化」も不十分なままやると、間違った結論を出しちゃう。先程お話したように、不完全な情報しか集めきれないまま、都合のいい結論を出すことになってしまうわけです。

「相対化」をするために不可欠な「必要十分な情報」

 「相対化」で重要なのは、考え得る限りのメニューを並べてみるということです。これをやらなければ、間違いの少ない「絶対化」をすることは、第一段階でつまずいちゃうんですね。ここが、日本人は非常に弱いところです。判断する材料を、必要十分に集めるという訓練ができていないということです。むしろそれは、今まで嫌われてきたわけです。「仕事を遂行するために必要な範囲の情報だけを、お前は知っていればいい。それを阻害するような情報は、お前は知らない方がいい。おまえの為にならない。」と言われ続けてきた。でも一生懸命仕事をした結果、事件が起きて、責任をとらされるっていうことになるわけです。
 私、昨年ですね、中学生と高校生を連れて、アメリカの姉妹都市へ行ったんです。(浦安市で)毎年やっているんです。
本当は教育長が行くはずだったんですが用事ができちゃって、お前行けってことになったんですよ。
 で、一昨年が「9.11」でしょう。一昨年は中止になったんです。海外旅行危険度というホームページを外務省が出していて、「9.11」の起きた直後は危険度5だったです。
最高の危険度ですよ。昨年見てみたら4.5だった。大して変わらないじゃないですか。それにワシントン、ニューヨークは危険だって書いてあるんですよ。一年も経つと、もう喉元過ぎれば何とかで、「例年どおりワシントンに行けばいい。」って言うんですよ。私が初めから担当者だったら中止にしましたよ。でも、もう募集は済んでるわ、旅行会社に金は払ってるわで。「せめてワシントンは止めくれ。」と。で、シカゴに入って、シカゴから乗り替える、それは受け入れてもらったんですよ。それでも、子どもに何かあったら辞職しなきゃいけないぐらいの覚悟を決めましたね。子どものメンバーの一人が大けがでもしたら、ただじゃ済まないでしょ。だから
辞職届を胸に入れて行きましたよ。
 そしたら、往きの飛行機の中で一人呼吸困難になっちゃいましてね。あの、よくあるでしょ? 映画で…。飛行機の中で、「ドクターいませんか?」って英語で放送して、ね、お医者さんが出てくるっていう映画、あるじゃないですか。まさか自分がその主人公になるとは思わなかったですね。で、アテンダントのところにとんでいってですね、放送してもらいました。そうしたらアメリカの海軍の軍医さんと日本の慶応の先生と韓国の先生三人が乗っていて、いろいろ診てくれて、まあ大事はないだろうと…。
 一息ついたときに私が思ったのは、まあ、これでもし親から訴えられて裁判になったとしても、管理職の保険に入っていたんで、何かあったら裁判費用くらいは出たんだよね、と思って約款をよぉーく見たらですね…、― 海外で起きたことについては対象外… ―って書いてある。
 皆さんね、それぐらい今の日本の社会は危険なんですよ。
今までホンワカ来ちゃってるんです。「赤信号、みんなで渡れば怖くない。」っていう感覚で…。
 私は、自己判断を誤ったわけです。その保険の、どういう免責があるかってことを確認しなかった。自分で情報をきちんと入手できたはずでしょ。だから入手しようとする情報が手に入るという仕組みを作らないといけない。その情報を提供することを図書館で出来る可能性がある。その最も具体的なサービスについては、レファレンスだろうということなんです。
 次に資料で見ていただきたいのが、「働き盛りの自殺急増」という記事。自殺が3万人以上、日本は北欧と並んでおばあちゃんの自殺率が高い国でした。でも年齢を問わず自殺者の率が高くなって、世界でトップの自殺率になってしまったわけですね。もちろん経済的な問題が大きいと思いますけれど
も。日中戦争初期の年間の戦死者よりも多いですよ。
 見ていただきたいのは、下の四角のところですね。両親の連帯保証人になって7,500万の借金を抱えて「もう死のう」と、この人は決心してですね、「上手く楽に死ねる方法はないか」と思って本屋さんに入ったんですね。『自殺本』というのがありますよね。この人『自殺本』と出会わなくてよかったですね。で、違う本と出会った。「数十億円の借金があっても堂々と生きていける…」という本に。で、この人は考え方変えて、倒産防止の経営のコンサルティングを始めたわけです。
 つまり、この人は自殺をするという「絶対化」をしていたわけですね。人生の究極の「絶対化」ですよ、自殺というのは。ところが本に出会ったことによって自分の人生を「相対化」したんです。これが情報の力です。
 アメリカのある図書館に行きますとね、男の人が自殺しようとしてピストルを頭に突き付けているポスターが貼ってあります。その下に「その前に図書館に」って書いてある。自殺しそうな人がフラフラっと図書館に来て、そのポスターを見るかどうかはわからないですけど、正常なときにそのポスターを見ていて欲しい。自殺しそうなときにそのポスターを思い出して欲しい。私はそのポスターを見たときに、アメリカの図書館の自信、それからアメリカの司書が持っている人の人生に対してサポートをしていかなければならないという義務感、そういうものを感じましたね。世の中には人の自殺を止められる情報があるという確信。その情報を草の根分けても探し出して、その人に提供するんだという自信。そういうものを感じるわけです。それがレファレンスです。

「情報端末」としての図書館

 図書館の究極的な機能は、やはり「情報提供」だと思います。いろんなものを図書館から剥ぎ取っていくと、最後の最後に残るのは「情報提供」だろうと思います。それに関して貸出だとか、レファレンスだとか、リクエストだとかが、どういう関係にあるのかということです。
 貸出サービス、リクエストサービス、児童サービス、障害者サービス、レファレンスサービスというものが、個別に並列に並んでいるというふうに考えている人がいるわけです。
だから貸出がある程度いったら、次は児童サービス。児童サービスがある程度のところまでいったら、次はレファレンスかな、という議論になるんですね。私は、これは違うと思っています。「情報提供」というものが最終的な目標で、それを実現するために図書館の人的資源、物的資源が使われていると思います。
 貸出というのは、一般的には本・雑誌の貸出という捉え方ですが、本の貸出というのは何かというと、「情報提供」のための手段です。紙とインクで出来た本を貸すことが目的であることはありえないでしょう?
 貸出・返却という言葉は、僕はあまり好きじゃないんですよね。貸出・返却というのは、本の管理から出てきた言葉でしょ。借りた人がその本を読んだとしますね。読んだ中味の情報は一度脳に入るわけでしょ。で、返すときに本と一緒にその情報を本の中に戻して返すのであれば、貸出・返却でいいと思うんです。本を借りて読んだら、読んだ情報は脳の中に残るでしょ。本だけ返すのでしょう? 情報の提供じゃないですか。貸出・返却というのは現象的な表現でしかない。
だから本の貸出というものの実態は「情報提供」、それ以外の何者でもないんです。たまたま本というものが情報を提供するために便利なんです。だから、「情報提供」をすることに関してもっと便利なものが出てきたら本を貸すという事よりも、そっちに乗り換える図書館が出てきます。
 それが今アメリカの図書館で盛んになっているデータベースの提供です。データベースというのは、一定のルールに基づいてある分野の情報を、その信頼性を含めて評価をして、検索できるように構築し直したものです。だからインターネットの検索とデータベースの利用というのは、全く質が違いますけど、日本ではそれが混同されています。その理由の一つは、データベースがほとんどないということにあります。
 アメリカの図書館と日本の図書館のもっとも大きな違いは、日本にはインターネットの端末はあるけれどデータベースの端末がほとんどないということですよ。アメリカの図書館ではデータベースの端末が豊富にあって、200〜300という種類のデータベースが使えるという状態です。ですから「情報提供」っていう意味でいえば、そこが便利になれば移行していく可能性があります。しかし、アメリカでもまだメインは本の貸出です。本の有効性っていうのは、まだまだいろいろあるんですね。じゃあ、ほかのサービスはどうか、ということなんですが、私はこう考えます。
 児童サービス、レファレンスサービス、リクエストサービス、障害者サービス…、まあそれ以外にもいろいろなサービスがあります。それが「情報提供」を支えるための柱のようになっている。というイメージです。最終的にはそれぞれのサービスというのは、資料提供に結びついている。それが図書館のサービスの特徴だろうと思います。
 児童サービスのお話会や読み聞かせというのは何のためにやるのでしょうか。やっている本人が楽しいから? 子どもが喜ぶから? 文化の伝承、それから子どもの言語能力の向上、情緒の育成、いろいろ児童サービスやお話会の目的がありますよね。でも、それを実現するための情報を提供していると考えられないでしょうか。情報というともちろん文字情報だけではないわけです。お話室の雰囲気っていうのも情報です。お話室の温度、匂い、明るさ、光の色合い、壁の色合い、そこにいる職員の話し方・表情・服の色、そういうトー
タルなものを使って、情緒の育成、言語能力の向上、文化の伝承というものを行なうための情報をトータルな形で提供しているわけです。
 リクエストやレファレンスは、もう言わずもがなでしょ。リクエストは当然最終的に資料提供に結びつく「情報提供」です。それを支えるためのサービスとして、ほかのサービスは存在している。そこでのメインは本の貸出です。だから立体的な構造になっていると私は思います。
  貸出がたくさん増えてくると、その中からリクエストが出てくると言われますが、私は、そうではないと思うんですね。
どんなに貸出が少ない図書館だって潜在的なリクエストはあるし、クイック・レファレンスというようなレベルで言えば、どんなに小さい図書館だってそういう「情報提供」をしてるわけです。皆さん現場にいて、レファレンスと、特にクイック・レファレンスと本の貸出なんて紙一重でしょう? だって書架整理しているときに市民の人が脇にやって来て、「こういう本ありませんか?」なんて言って、「ああ、そういう本だったらここにありますよ」って、「あっ、すいません」って貸出されて…。それは単なる貸出なのかクイック・レファレンスなのか、線引きなんか出来ないじゃないですか。
 レファレンスと聞いた場合に、職員のサポートがあるものをレファレンスというふうに今は漠然と言っていますけれども、自分で探す能力のある人は、自分で書架から本を抜き出して、自分の知りたい分野の情報なんかを自分で手に入れているわけで、図書館全体としてレファレンスに関わっているわけです。
 だから書架構成が重要なんです。ただ単純に本を並べているわけではありません。利用者が本を探しやすいように本棚を構成するわけでしょ。それは一種のレファレンス行為です。
効果的に本が並んでいれば、その人は職員に聞かなくても本を探すことが出来る。聞かなくても本を探すことが出来ているので、職員の手をかけていないように見えるけれど、書架の構成というところでは職員の手が入っているわけです。職員が努力して事務量をかけて本棚の本を並べたから、その人は本を探せたのですから。そうなっていなければ職員に聞いたかも知れない。
 貸出と書架構成とレファレンスとの線引きなんて非常に曖昧なわけです。

ビジネス、医療、法律分野のレファレンス

 特にレファレンスで力を入れなければいけない分野は、ビジネス、医療、法律だというふうに考えています。この三つについては、今まで日本の図書館では十分に取り組んでこなかった分野です。皆さんも大変心配されると思います。こういうことをレファレンスでやっては、後で訴えられるのではないか、そういうことはやっちゃいけない、と言われていたんじゃないか…と。そういう疑問については資料の最後の「医療情報・法情報およびビジネス情報に関わる参考業務のための指針」というアメリカ図書館協会が出したものを東京学芸大学図書館の高橋さんが訳した指針を読んでいただければ、疑問は氷解すると思います。
 確かに医療行為、法律判断については、専門家しか受付けてはいけないことになっていますが、その場合の相談の中味はどういうものかというと、専門家が自分の知識と経験に基づいて判断をするということです。この判断というものは専門家しか許されていないんです。ある病気について、患者に対して、「あなたの病気はこういう段階で、こうしなければいけない。」と言えるのは、お医者さんしか許されません。そういうことを許されているのが専門家だということです。では我々はどうなのか、と言ったら、判断はしないわけです。図書館員は、それについての情報を提供するのです。「お腹が痛い」っていうことであれば、一般的に「医学事典では、こう書いていますよ。こういう本もありますよ。」とか、「こういう病気についての専門医、病院はこうと書いていますよ。」とか。そういう情報提供をする。ここを踏み外さなければ問題はありません。
 図書館におけるビジネス情報の提供ということが、最近盛んに言われるようになってきているわけですけれども、公共施設として企業に対して何か恩恵を与えるのはまずいんじゃないか、という声があります。私は、企業向けの情報提供ということを考える必要はないと思います。なぜかというと、公共図書館に来る場合はですね、現象的には個人が来るわけです。
 たとえば、「上役から自社ビルの屋上にネオンサイン灯をつけろと言われたので、なにか積算の資料はないか。」という相談を受けたことがありますが、それはですね、厳しい企業社会の中で、毎日いろんな課題と直面して大変な思いをしているサラリーマンが個人的に悩みを図書館にもってきたと考えられる。
 よく図書館サービスは、目の前の利用者から始めろ、というふうに言われます。一人一人の市民のニーズに対応した情報を提供するというのが図書館のあり方ですので、それは本当に困って図書館に助けを求めた個人なんです。その方に対して情報を提供するんだと。でも結果的に企業に情報を提供することになるじゃないのか。それでは、パソコンの「エクセルの使い方」なんて本を貸すことは、どうなんでしょうか?
趣味で使うか会社の仕事で使うのかなんてわからないじゃないですか。たとえば図書館でコピーした本の1ページを千枚も二千枚もコピーして配るというようなことは問題ですけれども、その人全体のスキルを向上させていくような、あるいは知識を増やしていくようなものについては、どこまでが企業活動で、どこまでがその個人のためなのか線引できません。
さっきのネオンサインの積算資料だって、最終的に、そのまま使われるとは限りません。

ビジネス・サービスとは

 それからビジネス・サービスっていうとなんか企業中心に考えがちですけれど、そうではなくて農業、漁業、酪農、林業従事者への「情報提供」っていうのもビジネス支援と思っています。これは狂牛病のときを思い出していただければ分かると思いますし、中国からドンと野菜が入ってきて日本の野菜の値段が乱降下してしまう時代では、上部団体の言うことを聞いているだけでは、第一次産業の方たちのリスクは大きくなり過ぎています。北海道の小さな村でお仕事する人が農協を通じて仕事をするだけでなくインターネットを通じて商売してもいいんだ、という時代なんです。そうなれば、インターネットにアップしたとたんに世界中を相手にすることになるわけで、今ぐらい個人が世界と繋がっている時代はないわけです。特に第一次産業の方たちに対する「情報提供」はビジネス支援の重要な分野だと思います。
 それから、議員への情報提供や行政のトップへの情報提供です。これからは政策判断を間違ったら本当に大変なことになります。地方自治、地方主権を突き詰めて、最終的に行政のトップが、何でも決められるってことになりますと、とんでもない行政判断が生まれてくる可能性がある。たとえば、アメリカなんかでは、行政運営に失敗した町で、消防自動車まで売り払ったっていう話があります。日本だって、下手をすればそういう時代にこれから突入していく可能性があるわけです。そういう間違った判断をしていただかないための情報を提供する。情報で一番重要なのは、聞きたくない、知りたくない…、そういう情報も含めて集めて提供するということですから、そういうことについて図書館は役に立つ可能性があります。これもビジネス支援です。議員の方は議員活動が、首長は首長の仕事がビジネスです。

地域への医療情報の提供

 次に地域の医療情報の提供です。インフォームドコンセント、セカンドオピニオンという言葉をお聞きになったことがあると思います。このインフォームドコンセントについての番組がNHKで2回くらい放映されました。その番組自体はですね、ダメなお医者さんがいかに患者をいじめているか…、っていうニュアンスの番組構成になっていて、それを助ける正義のお医者さん、そういう描き方なんです。でも自分の医療は自分で決めるという時代。「自己判断自己責任」です。そういう時代になったときに主治医以外の人やお医者さんや機関から情報を得て、そして主治医と議論するということも重要ですよ、というのが本当の番組の作り方じゃなかったのかなあと思いました。その中では若手のお医者さんが、患者さんについての情報提供するために、病院の中の病院図書室を使っている場面が出てきます。せめて「こういうところは、これからは患者にも開放されるべきだろう」みたいなことを、ちょっとナレーションで入れてくれればいいのにと思いました。
 資料に、栃木県の県立がんセンターの所長さんをおやりになっていた小山さんという方が書いた文章があります。読んでいただきたいのは、アメリカでは、ある種の病気について56%は、セカンドオピニオンを得ているという点です。つまり半分以上が、主治医以外から自分の病気についての情報を得ている。日本では、まず99%の人が、たまたまかかった先生にお腹切られている。「自己判断自己責任」という時代
になって、それでいいのかということですね。それについての医療情報をこれから図書館で提供していくということです。
これについては、厚生労働省が医療情報提供図書館を立ち上げようとしているようです。しかも、公共図書館とネットワークを組みたいという意向が出ているということです。

地域への法律情報の提供

 それから次の、地域への法律情報の提供。明治以来の大改革と言われている司法制度改革。17人に1人くらいの方は、一生の間1回以上裁判員になる、ということです。
 世論調査では70%以上が裁判員にはなりたくないと。この司法制度改革というのは何かと言うと、一般国民にも法律知識を持たせるってことです。裁判以外のチャンネルでも紛って書いてあるでしょ。今、全国平均4冊です。完全にクリアしたわけです。だから私が今日お話させていただいていることがですね、「うちの図書館では無理だ。」と皆さん思うかも知れません。
争解決をするってことなんです。そういう非常に巨大な制度改革なんです。「司法ネット法(総合法律支援法)」っていう法律が去年の5月に施行されて、各都道府県に法律情報センターというものがこれからつくられます。そこで法律の情報と裁判費用の保障と弁護士の紹介などをすることになるんですが、いかんせん都道府県庁所在地だけではどうにもならないので、公共図書館を窓口にしたい。法務省の委託を受けて
富士通総研がまとめた調査報告の中に書いてあります。
しかし、具体的なイメージを持つことが重要なんです。人間は自分でイメージしたことしか実現できないんです。自分の脳でイメージできないことは、取り掛かることも出来ません。『中小レポート』や『市民の図書館』は、将来達成するイメージを提供した、ということが、重要なんです。だから、今日私がお話していることも将来的な達成目標、達成イメージです。皆さんが具体的に頭の中で描くイメージとして考えていただきたい。
 つまり医療についても、ビジネスについても、法律についても、そういう分野から公共図書館についてラブコールが出ているということなんです。これについて日本の図書館界の反応は極めて鈍い。さきほどからお話しましたように、「自己判断自己責任」型の社会で情報を提供することで、国民の生活を豊かにし、国全体を強くしていくということが求められているわけで、公共図書館が新しい役割を担えるチャンスが立ち現れてきています。その中でも特に、ビジネス・医療・法律ということに関しては、われわれが言っているんじゃなくて、専門分野の方が改革をしなければいけない、情報の提供にあたって、図書館とのネットワークを組みたいと言っているわけですから、これはやっぱり各自治体の図書館が本格的に取り組むべき分野だと思うし、県立図書館でも市町村支援の分野として非常に有効な部分だと思っています。
 資料を見ていただきたいのですけれど、「普通の主婦暴力団と闘う」。娘さんを暴力団抗争の巻き添えで亡くした主婦が、仇を討ちたいということで、図書館で一生懸命調べていた。偶然そこに司法試験の勉強している学生がいて、「おばちゃん、何をしているの?」「手伝ってあげるよ」と。そういう動きに対して、県警、警察もこの人を一生懸命ボディガードして、裁判を起こして損害賠償を勝ち取ったすごい話です。それが図書館中心にして起きた。
 ただ、残念なのはこういう話が日本では記事になる程珍しいことなんです。でも、こういうことが皆さんの図書館で、これから続々起きてくる、という時代になる、可能性もある。
レファレンスが中心となることは明らかです。そういう心構えで考えていただけたらと思います。

具体的な達成イメージを

 かつて『中小レポート』※1と『市民の図書館』※2という本が発表された当時、日本の図書館の状況は、1年間の総貸出冊数が10万冊を超えるという図書館はほとんどなかった。
前記の本を読んだ図書館の職員からどういう声が上がったかというと、「そんなの無理だよ、絵空事だよ。」っていう反応がほとんどだったんですよ。しかし今じゃ『中小レポート』や『市民の図書館』に書かれていることなんて、ほとんど達成されたわけです。『市民の図書館』、皆さんお読みになっているでしょう。あれになって書いてあります? 「市民一人当たりの貸出冊数が2冊になるまでともかくがんばりましょう。」って書いてあるでしょ。今、全国平均4冊です。完全にクリアしたわけです。だから私が今日お話させていただいていることがですね、「うちの図書館では無理だ。」と皆さん思うかもしれません。
  しかし、具体的なイメージを持つことが重要なんです。人間は自分でイメージしたことしか実現できないんです。自分の脳でイメージできないことは、取り掛かることもできません。『中小レポート』や『市民の図書館』は、将来達成するイメージを提供した、ということが、重要なんです。だから、今日私がお話していることも将来的な達成目標、達成イメージです。皆さんが具体的に頭の中で描くイメージとして考えていただきたい。
 今、日本の図書館にいろんな危機がきていますけれど、そこに向かって努力していくことで、実は、非常に大きなチャンスも目の前にぶら下がっている、ということをご理解いただきたいと思います。


※1 『中小都市における公共図書館運営』(日本図書館協会1963)の略称。第一線に立って直接住民に奉仕すべき中小公共図書館の位置づけと在り方を明らかにし、その後の公共図書館の運営に大きな影響を与えた。
※2 1970 年日本図書館協会発行。公共図書館の基本的機能は、「資料を求めるあらゆる人々に資料を提供することである」とし、資料提供を核とする図書館活動の原則を示し70年代の図書館運営の指針となった。
― 『最新図書館用語大辞典』(柏書房2004)より引用―

【常世田良氏紹介】
1950年東京都生まれ。1983年浦安市職員に採用され、浦安市立図書館に配属となる。浦安市立図書館長、浦安市教育委員会生涯学習部次長を務められ、現在、社団法人図書館協会理事・事務局次長。

著書:『浦安図書館にできること』(勁草書房2003年5 月刊)
最近の主な論文:
「視点:社会の変化と図書館(1)情報ニーズと図書館」
『情報管理』48 巻4 号[2005.7]
「図書館活動の現場から浦安市立図書館の先駆性(特集本が人を動かす! 国際交流の場としての図書館?
(第2 部日本の図書館を考察する)」
『国際交流』26 巻3 号通号103[2004]
「座談会図書館の「質」をもっと高めよう(図書館改造計画(3)特集常世田良が考える21 世紀の公共図書館)」
『季刊・本とコンピュータ』第二期通号9[2003.秋]

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