山梨県教育委員会社会教育課主催
平成17年度第1回市町村図書館長等研修
日時:平成17年7月6日(水)
会場:ザ・ホテル紫玉苑
講演「図書館経営概論−公立図書館の役割−」
講師社団法人日本図書館協会理事・事務局次長常世田良氏
今日いただいたテーマが「公立図書館の役割」ということですが、みなさん図書館経営に関わる立場にいらっしゃるということで、少し先のことを見据えたお話をしたいと思います。
私も、通算しますと四半世紀ちかく図書館の現場におりまして、そのうちの8年間、図書館長を務めました。通常管理職は2〜3年で交代ですが、浦安の場合は代々首長の考えで、専門職に現場を任せる、特に館長については有資格を置くという方針をとっていましたので、色々な経験をしました。その中で思いついたようなことをお話ししたいと思います。
「自己判断・自己責任」型社会への移行
みなさんもご存じのとおり、今、図書館ばかりではなく、行政全体が、税収減、行革地方自治から地方主権といういうところに来ています。その中で、特に社会教育施設については、指定管理者やPFIといった、かなり難しい課題にも直面しているという時期ですが、一方で、図書館にとっては大きなチャンスが来ていると考えております。つまり、危機とチャンスが同時に起きているというふうに考えられるのではないかと思っています。
危機というのは、予算や人員の面でなかなか思うようにいかないということと、法律でも多様なものが担保されてしまったため、運営の形態自体に色々な混乱が起きているということです。
チャンスというのは「自己判断・自己責任」型社会に日本が移行していくと言われ、ていること、そのあたりに、大きなチャンスがあると言えると思います。
誤解を恐れずに簡単に言えば、いままでの日本の社会では、情報をわざわざ集めなくても、何とか仕事ができたということです。行政においては、政策、法律は国が決め、それを県が受けて、さらに県条例や様々なマニュアルを用意し、市町村の職員の研修まで県が行って、実際に行政の執行を進めていくというのが、日本の中央集権的なやり方でした。ですから、何か問題があった場合、県にお伺いを立てればそれで済んだわけです。
わかりやすい例が、機関委任事務だと思います。機関委任事務は、本来国が行うべきものを、県と市町村が担うというもので、国の言うとおりにすれば、市民がどんなに反対しようとも、それ以外のことをする必要はなかったわけです。ところが数年前に地方自治法が改正されて、法定受託事務という形に変わり、問題があれば市町村は異議を申し立て、それをしなくてもいいという法体系になった。法的に言えば180度、地方自治法の考え方が変わったわけです。それによって徐々に変化が生まれてきていると思います。
山梨県でもおそらく、国や県の指示にそのまま従うのではなく、独自の路線で行こうという首長さんもいらっしゃるのではないでしょうか。浦安の図書館を作った市長というのは、浦安がまだ寒村の町だったころ、30代半ばに町長になり、ディズニーランドを引っ張ってきて、今では地方交付税の非交付団体になりました。8期29年間、町長と市長を連続して務め、浦安のために働きたいと市政のために私財をなげうつような市長でした「国からも県からも金はもらっていないのだから好きなようにやるぞ」ということを、もう20年くらい前からよく言っていましたので、地方主権の先取りをしていた市長だったと思います。中学校の免許外教員の問題が起きたときに「じゃあ市の、予算で教員を雇えばいいじゃないか」と言って着手しようとしました。しかし、そのころはまだ中央集権的な色合いの濃い時代でしたから、県の教育委員会から待ったがかかりました。今はそんなことはなく、市町村のお金で先生を雇っている自治体もあると思いますが、このようにたった20年くらいで大きな変化が起きているわけです。
私がそのような変化をはっきり感じたのは、石原東京都知事が再選したときの記者会見で、開口一番、「今まで以上に国とけんかするぞ」とおっしゃったのを聞いて、「本当に地方主権の時代が来つつあるんだな」と思いました。
これからは、以前だったらお伺いを立てていた県に対して、けんかをしなきゃいけない、全く違う路線を市町村独自の考え方でやっていかなければならないということも出てくると思います。そのように、政策的に路線の違う立場になったときに、その相手から情報は出ない可能性があります。独自に情報を集めなければならない。あるいは、今までだったら隣の市町村の同じセクションに電話して「うちも同じだな。じゃあ、それでやろう」で済んでいたものが、これからはそうはいかない。その市町村独自の事情があるわけですから、それに沿った施策を講じないと、住民訴訟が起きるというような時代になってくるわけです。つまり、今までは国・県・市町村という流れの中で、上から与えられた考え方、情報に沿って仕事をすれば何とかなったのが、これからはそうはいかないということです。
もっと怖い話になると、国・県・市町村という流れの中で、法律的にこう考えればいいと言われて仕事をした公務員が、住民訴訟を起こされ、しかも自治体に対してではなく、個人が訴訟されてしまうという時代が来ていると言えます。エイズ事件で、厚生省の課長個人が訴えられましたが、このような事例が増えていると言えます。個人が訴えられれば、裁判費用は組織では出せないので、このような裁判戦略が展開されていると
いうことは、公務員にとっては恐ろしいことです。
ですから、管理職が訴えられたときの保険というのがあります。昨年度、浦安市の教育委員会の次長を務めまして、中高校生の海外研修事業に子どもたちを連れて行くことになりました。もし子どもたちが海外でけがをしたりすれば、これからは行政側の責任者個人が訴えられるでしょう。私は保険に入っていたので、最悪これで何とかなるかと、辞表を胸にいれて出かけました。ところが、帰ってきて保険の約款をちゃんと読んだら、「海外で起きたものについては保険の対象にならない」とありました。管理職保険に入っていても安心できません。このように、非常に危険な、リスクの多い時代に突入しているということです。それに対して、個人で対抗していくための情報収集をしていかなくてはいけません。私はその情報収集が足りなかったわけです。保険がきかないということを知らないで出かけてしまったわけです。
これが、今、企業でもそうです。日本では、大企業・中小企業・零細企業という、大きいピラミッド型の構造でした。大企業に従って製品を作れば、中小零細企業はなんとか食べていけた。技術移転まで含めて、ある仕事を行うための情報が上から流れるというのが日本の企業の特徴だったわけで、トヨタの看板方式はその典型的なものです。今は、ご存じのとおり生産拠点を海外に移すということから始まって、日本の大企業・中
小零細企業の系列は崩れ始めてきています。
行政においても、企業においても、命令系統が上位下達型であるということと、仕事を遂行するための情報、コンセプト、政策というものが、命令と同時に与えられるというのが、日本の組織の特徴だったのです。企画以外のところでは、情報を自分で集める必要はない、少なくとも、言われた枠内の仕事を仕上げるための情報は提供されてしまう、これが特徴です。ですから、一般的な組織においては、各個人が一から情報を集め
る必要はないんです。それをやると「よけいなことは考えるな。言われたことだけやりなさい」と、逆に怒られたりしました。つまり、与えられた仕事の枠組み自体に疑問を抱き、枠組みを壊して物事を考え直そうなどとすると、決して喜ばれない。与えれた枠組みの中で、与えられた仕事を上手に仕上げる能力が要求され、評価されます。しかしその仕事自体がおかしいのではと言うことは、あまり歓迎されない。しかし、それも崩壊してきているということです。
「まいど1号」というのをお聞きなったことがありますか。東大阪という、東京で言えば京浜工業地帯のように町工場がたくさんある地域で、ここも不況で大変な状況です。しかし、ここの町工場は、NASAとかボーイング社が注文にくるぐらいの大変な技術を持っています。ひとりの町工場の社長さんが、地域全体の町おこしとして人工衛星をあげてはどうかと思いつきました。みんなで協力すれば打ち上げるだけの技術は持っているのです。その人工衛星の名前が「まいど1号」で、これは色々なテレビがおもしろおかしく取り上げたりしました。私は、それを見て、今お話ししているような、系列が崩れているということと、日本の中小零細企業の人がどういう状況にあるのかが見えてきたんです。
ひとつは「まいど1号」を作ることになって初めて、隣の町工場で何を作り、どう、いう技術水準にあるのかを知ったということです。つまりお隣さんのつきあいはしていたが、仕事は上下の系列でつながっていた。横の系列で何かをやろうとして、初めて気がついたということです。
もうひとつは、人工衛星をうちあげるとなると、色々な書類を中央官庁に出さなければいけない。しかし、そのような役所に出す書類は書いたことがない。これはみんな親会社がやってきたのです。つまり、日本では、大企業・中小企業・零細企業という組み合わせで、大きなひとつの工場になっていたということがわかった。しかし、今その系列が崩れてきています。本来の仕事ででも、いままでやったことがないような仕事を、日本の中小零細企業がさせられはじめている。つまり独立し始めている。独立したくないのだけれど、無理矢理させられている「自己判断・自己責任」を要求されているということなんです。
これは行政の方でもそうです。みなさんおそらく管理職研修を受けられていると思いますが「政策形成能力向上研修」のような研修には、必ず「自己判断・自己責任」と、いうキーワードが入っていませんか。首長のレベルでは、地方主権の方向に行き始めている首長と、今までどおり中央とのチャンネルを作ってやっていこうという従来型の首長とで、明らかに分かれ始めている。これから大混乱の時代になるのではないかと思い
ます。
そういう中で「自己判断・自己責任」型の社会に移行すると、個人や小さい組織は、情報を集めにくく、間違いを犯すリスクが大きくなってきます。今までは国や県が責任を持って情報を提供してくれた、あるいは大企業が情報を提供してくれた。だから大きな間違いをせずに済んだ。しかしそれがバラバラになるわけですから、正しい判断をするための情報を集めきれないという状況が生まれてくる可能性があるわけです。
「自己判断・自己責任」で問われる日本人の情報収集能力と情報環境
第二次大戦の時に、ミッドウェー海戦というのがありました。アメリカと日本の海軍が戦い、ここを境に日本は負け戦になってくるという重要なターニングポイントですが、ここに戦史上、非常に有名な教訓があるんです。
お互い相手の艦隊を先に攻撃しようと、偵察機をたくさん飛ばして見つけようとするわけですが、そのときに軽巡洋艦から飛び立つはずだった日本の偵察機が1機、エンジンの故障で飛び立てなかった。何十機も分担して探すわけですが、その偵察機が探す一画だけは探しきれなかったのです。しかし、日本の参謀たちは「これだけさんざん探したのだから、1箇所くらいは探せなくても大丈夫だ。アメリカの艦隊はこのあたりではなく、もっと先にいるのだろう」と、そのまま作戦を続行してしまった。しかし、まさに探せなかったところに、アメリカの空母の主力部隊がいて、そこから飛び立った飛行機に、日本の虎の子の航空母艦を3隻も4隻も沈められてしまったのです。
これは、日本人の思考形態の反省点としてよく言われるのですが「情報を充分に集めないまま都合のいい結論を出すことは非常に危険なことであるという教訓として繰り返し使われる例なんです。
ビジネス支援ということを図書館で始めて、経済産業省や中小企業庁の担当の方とも話す機会があるのですが、彼らの中には「色々なことを言われるけれども、今の不況、というのは、実は日本の企業体質に問題があり、十分な検討をしないまま、都合のいい結論を出して進めていくという体質によって、起こるべくして起きた不況である」と言う人がいるんです。それは、最近起きている大企業の不祥事、トップが法律違反をしたり、本来リコールするべきものをそのままにしておいてしまったり、という例を見ていただいてもわかると思います。原因は色々とあると思いますが、少なくとも、最悪の条件にかかわるような情報まで集めて、最悪のシナリオに対応するような決断をするということをやっていない、ということです。
戦後、日本の経済がうまくいったのは、決して日本企業のやり方が正しかったからではないということは、よく言われています。朝鮮動乱など、色々な条件があり、うまくいってしまったという面もあります。10年、20年、30年とやっていくとそうはいかない、いつもうまくいくわけではない。きちんとした対応をしていないと必ず失敗する。そういうことが、積もり積もって出てきてしまっているという話です。これが大変恐ろしいことで、そのまま「自己判断・自己責任」型社会になった場合、ちょっとまずいのではないでしょうか。
もう一つ例を挙げましょう。スキミングという、銀行のキャッシュカードの番号がいつのまにか盗まれて、預金が引き出されてしまうという事件がありますね。『キャッシュカードがあぶない』(文藝春秋2004年)という題名で柳田邦夫さんが緊急出版をしましたがだいたい200〜300億円くらいの被害が出ていると言われています。
これは小さな国の年間の国家予算ぐらいです。
ところが、そういう被害が出て大変なことになっているのに、我々一般の庶民に対しては、どういう事件が起きていて、どうすればいいのかということについての情報は、一切届いていなかった。柳田さんが、知り合いの方が不用意にキャッシュカードを持ち歩いたことはなかったのに被害に遭ってしまったということで「文藝春秋」の編集者と相談して、急いで出版したという、その本を読んで初めて、アメリカでは何年も前に1日におろせる金額の上限が決められていて、盗もうとしても多額のお金が引きだせないようになっていたり、イギリスではそういう事件が起きたときに、銀行が100%保証するという制度が動いていたりということを知ったわけです。
なんのことはない、そのような情報が我々のところに届いていれば、銀行に対して、なぜそういうことをしないのかと言えたはずです。つまり、ものを考えるための材料が、我々の手元に届いていなかった。インターネットが使えるようになって、あたかも情報がたくさんと届いているように見えますが、重要な情報は少しも届いていないという例と言えるのではないかと思います。
今まで日本は、護送船団方式と言われますが、銀行とか証券会社保険会社をつぶさないから国民は安心しなさい、そのかわり国の言うことを聞いていけばいいという方針でやってきた。ところが、国の財政が破綻したのが直接の原因ですが、もうそういうことは言っていられなくなった。みんな勝手にやりなさい「自己判断・自己責任」という、形になったわけです。
ペイオフの制度がそうです。みなさんが銀行に口座を作るとき、どんな理由で銀行を選んだか、次の4つ以外の理由の方は教えてください。1つめは、その銀行に知り合いがいるから、2つめは親戚が働いているから、3つめは職場に近いから、4つめは家に近いから、これ以外の理由で銀行に口座を開いている方はいますか。どこの会場でもこの質問をすると、9割以上の方は、この4つの理由で銀行を選んでいます。こんな理由で銀行の口座を開く民族は日本人だけです。
そのくらい日本の国というのは、安全で横並びの国だったわけです。それはそれで大変なことです。どこの銀行に金を預けても同じという、安定した、みんなが一緒に暮らしていくというシステムを作ったわけでしょう。でもそれはもうやめたということです。これからは、だめな銀行はつぶれ、銀行も金融商品を変え、「危ないが利子が高い」とか「安全だが利子が低い」とか、みなさんがそれを選んで、失敗すれば財産をなくす、そういう国になってきているわけです。それが、わかりやすく言えば「自己判断・自己責任」です。上役から、法律上問題がないと言われて仕事をした公務員個人が、結果的に訴えられてしまう。これからはそういう時代です。これも「自己判断・自己責任」です。そうならないためには、上から言われたけれどもこれは大丈夫かと、自分で判断しなければならないということです。
つまり、自分で情報を集めて、自分で自分の身を守らなければならない時代が、もう目の前まできているのです。でもそれは、日本人は慣れていない、そういう教育をされていず、訓練されていないんです。自分で情報を集めて、一から考えるということがないんです。
女性の方は、そろそろ今日の夕飯は何にしようか、あれにしようかこれにしようかと考えているでしょう。色々な可能性を考えるということを「相対化」と言います。しかし、今日の夕飯というのは人生に1回きりなので、最終的にはひとつになります。これを「絶対化」と言います。我々は仕事をするときに、人生を生きていくときに、無意識のうちに、この「相対化」と「絶対化」を繰り返しているわけです。
行政の仕事などは、まさにそうだと思いましす。何か計画を立てるとき、色々な可能性を考えて、最後は絞り込む。しかし、ここに問題があるわけです。都合のいい可能性だけを集めて、その中から選んでいないかということです。聞きたくない、都合の悪いものまで含めて全部目の前に並べて、どうすればいいのかを考えて、絞り込んでいくというのが、本当の「相対化」と「絶対化」です。そのためには、都合の悪いことまで含めて、情報を必要充分に集めきらなければならないのです。しかし、この情報を集めるということについて日本人は訓練されていない、そして、そのためのシステムもほとんどないのです。これは恐るべきことです。
地域の自己判断のために強化すべき図書館の役割
〈行政トップ、行政各セクションへの情報提供〉
企業においても、行政においても、個人にとっても、必要な情報を100%集められるシステムとその訓練が、日本にはできていない、これは本当に恐ろしいことだと言えます。第一、本当に100%集め切れたかどうか、どにように証明するのでしょうか。
結論を言いますと、その情報集めをするということが、図書館の新しい役割として立ち現れてきているのではないかと思います。
その最たるものが行政の仕事です。首長や教育長や各担当部署の職員が、仕事をするときに、その判断は正しいか、もっと情報を集めて判断をする必要があるのではないでしょうか。そこに、その情報を提供する「行政サービス」の可能性が出てきているということです。つまり、市町村は、情報を集めて自分で考えなければいけない。もしかしたら、県と裁判することになるかもしれない。そのときに県からは情報はもらえないので、図書館が情報を供給する。
例を挙げますと、浦安の場合には、市長、助役、教育長、収入役、総務部長に対して、図書館は毎日、新聞の切り抜きを提供しています。そんなことは、総務あるいは秘書課の若い女の子がやっているとみなさん言うでしょう。浦安もそうだったのです。では、なぜ図書館がやるようになったのかというと、市長に「新聞の切り抜きを図書館でやらせてください」と言いに行ったのです。
浦安の図書館は、20年間新聞の切り抜きをずっとやってきました。これは、浦安に関係ある記事全部と、図書館に関係ある記事を切り抜くというもので、レファレンスの担当職員がやっていたので自信がありました。かたや秘書課では、入って2、3年の女の子が交代でやっているんですね。
首長が目を通す新聞記事を、社会に出て2,3年の女の子が切り抜けますか。つまり、誰が見ても行政課題だというような記事は、誰でも切り抜けるんです。でも首長が必要としているのは、今は小さい記事だけど、あと半年もしたら大事件になるというような、そういう記事が本当はほしいんですよ。そういう記事をうちは切り抜きます、秘書課と同じ日の新聞を切り抜きますから比べてくださいと言って、3ヶ月間並行してやりまし
た。結果、市長が図書館にやらせようと言い、今は図書館がしています。
多い日は、厚さが5mmくらいになるんですよ。5大紙と日経新聞と地元紙、7つの新聞に目を通して、行政に関係ありそうな記事を全部切りぬきます。それを分野別に編集し直して、昼休みまでに持って行くということを、毎日やっています。
市役所と近いので、何かあると市長や助役がその関係の本を持ってこいというのは昔からよくありましたので、そういう意味では、情報を提供してきていますが、これからは、新聞記事のデータベースなど、色々なデータベースを図書館の職員がチェックして、行政に提供していく。首長だけじゃなく、いろいろなセクションに、です。例えば、新しい事業を立ち上げるような場合などには、なかなか情報は集まらない。職員が忙しい
のに、情報集めなんてやっていたら仕事にならないでしょう。「情報集めは図書館がやる」ということは可能性があると思います。
〈議員への情報提供〉
それから議員さん。国会議員は、自分が何か国会で質問しようというときには、電話一本かければ、あの巨大な、のべ7万平米、800人も働いていて、何百年もの資料の蓄積のある国会図書館に専門の研究官がいて、すぐに資料を集めて「はい先生」と持ってくるのです。議員が情報収集できる仕組みをもっているのは、国会議員だけです。残念ながら県議会の資料室でも、そこまで機能しているところはそんなにありません。市
町村の議会図書室に至っては、ほとんど休眠状態でしょう。
ですから、国会図書館が国会議員にやっているような機能を、市立図書館が市議会議員に対して行う、これは非常に重要なことだと思います。ほとんどの市町村では、月に40万も50万もとっている議員さんが、自分で新聞の切り抜きをしていますが、とんでもないことです。そんなことに時間を使われてはたまりません。議員は議員本来の仕事をするべきで、資料収集は図書館がするべきです。
浦安は幸い議員の利用が昔から多く、議会が近づくと色々と調べに来ます。浦安の下には断層が2つ走っています。ひとつは活断層であることがわかっているが、もうひとつはどうか調べてくれ。2つも活断層が走ってるのなら、ゆゆしき問題だから一般質問するのだ、という議員がいました。あるいは、浦安には2つの川が流れているが、この、。汚染物質にどういうものがあるか知りたい場合によっては予算委員会で質問したいと
一般的な河川の汚染物質というのは色々なものに載っていますが、当該自治体の川の汚染物質についてというと、なかなか情報がないんです。
ある議員さんは、集会所のまわりに一年中花を咲かせたいと後援会の人たちに言われ、何か良い方法はないかと聞いてきた。これは図書館は大得意なことです。どういう種と球根を、どういう順番にまけば、一年中花が咲くかということを教えたりしました。
このような形で議員に役に立つ。そして、図書館は小説を借りたり、教養・娯楽だけではなく、本当に仕事役に立つんだ、と1人でも2人でも思ってくれたら、これは予算を付けろという話をしてくれます。浦安市は以前、財政当局が本を買う予算を減らそうとしたことがありました。そうしたところ、市長に最も近い市長派の議員と、中間派の市民派の議員と、共産党の議員が、それぞれ一般質問で、「予算を減らしたらまずいのではないか」という質問をしてくれました。
やはり、その議員なり、その行政マンが、実際に仕事上で困っていることを解決するということを通じて、図書館がどのくらい役に立つのかということを知ってもらうことが重要です。観念的に「市民の知る権利を図書館は守ります」などと、そんなお題目を言ってもどうにもならないんです。世の中はやはりギブアンドテイクです。「あなたが困っていることを解決します、図書館は」これがなかったら、その人が持っている力を図書館のためには使ってくれないですよね。それが非常に重要な大切なポイントだと思います。
〈地元企業、商店へのビジネス情報の提供〉
「あなたが困っていること」とは何かというと、経済、医療、法律が大きなものと思います。
日本の地域で最大の課題は経済問題ではないですか。本来税金というのは、納税者全員に公平に役立てるものです。ところが、みなさんの自治体はいかがですか。特定の倒産しそうな企業とか、特定の創業・起業しようとする人とか、そういうところに、補助金などを出しているでしょう。本当はおかしいのではないですか。しかし、そのくらいテコ入れしないと、地域経済はなかなか活性化しないというところまできてしまってい
るんです。あらゆる手段を使って、地域経済の活性化に取り組んでいます。子どものおはなし会も大切ですし、ベストセラーの小説を貸すことも大切ですが、こういうときに、図書館だけが関係ないという顔をしていていいのでしょうか。これは理屈ではなく、素朴な疑問です。
浦安図書館は、レファレンスサービスを年間20万件くらい、1分30秒に1件くらいやっている図書館なので、そのレファレンスの中に、仕事に関する質問はものすごく多いんです。ビジネス関連のレファレンス事例の、ほんの一部を資料に載せてありますが、こんな質問がどんどんレファレンスの中にきていたわけです。かなり難しい、踏み込んだ質問があると思います。
例えば「自社ビルの屋上のネオンサイン塔の積算の資料」という質問は、サラリーマンが上役から、自社ビルの屋上のネオンサイン塔を作りたいから報告書を書けと言われ、「積算の資料はありませんか」と飛び込んできたんです。普通の建物の積算の資料というのはけっこうあるのですが、ネオンサイン塔の積算資料なんてなかなかありません。
「エチオピアから豆を輸入したいが、法的な条件や、考えなければいけないことは」と言って来た人もいますし、例えば飲み屋のマダムが気の利いた酒の肴を出したいんだという、これもビジネス支援です。大工の人が、数寄屋造りの屋根について勉強したいんだという、この方は本当に長い間、専門的な日本建築の勉強をしていましたが、こういうのもビジネス支援だと思います。
しかし、首長も議員も当の市民も、図書館が仕事の役に立つというふうに、なかなか結びつかない。実際はこれだけ役に立っているのに、ですよ。そこで、わかりやすいキャッチフレーズ「身近な図書館でビジネス支援」。実際もうやっていて、新しく始めたのではないんです。既にやっていることを理解してもらうために、わかりやすい名前を付けただけなんです。これは誤解されていて「こういうことを新しく始めたんですか」、という方がいるんですが、そうではなく、そこそこのサービスをしている図書館であれば、昔から住民は仕事の情報を図書館から得ているんです。しかし、今の状況を考えると、もっと力を入れるべきではないでしょうか。
〈農業、漁業、酪農、林業従事者への情報提供〉
では、ビジネス支援というのは、企業とかサラリーマンの方だけなのかというと、農業、漁業、酪農、林業、こういう方たちに対しての情報提供も、立派なビジネス支援です。先ほどの首長や行政マンに対するサービスも「行政サービス」という言い方をし、ましたが、その人たちの仕事に対する情報提供と考えると、広い意味でのビジネス支援です。
特に、農業や酪農をしている人たちへの情報というのは、非常に重要です。もうすでに、農協や酪農協働組合という上部団体の情報だけでは、危なくてやっていけない。例えば中国から大量に野菜が入ってくれば、日本の野菜の値段が乱降下してしまうような時代では、上部団体の情報だけでは危なくてしようがない。酪農をやっていた方が、狂牛病のときにどういう目にあったか、記憶に新しいところです。大丈夫だと言われていたけど、大丈夫じゃなかった。つまり、それだけ先が見えない時代です。ですから、こういう方たちも自分で情報を集めなければならない。一次産業の人たちも「自己判断・自己責任」の時代になっているということです。
日本の図書館の歴史の中では、都会の近郊の住宅街の図書館が発達してきましたが、地方の図書館が充実することの方がよほど重要だと思っています。わざわざ東京まで行かなければ情報が得られないということでは、日本の地域経済の活性化は望めません。
地元にいて、ニューヨークにいるのと同じ、ロンドンにいるのと同じ情報が手に入るという環境を作らなければならない。先ほどお話ししたように、地球上の他の地域の動きが、即、連動するという時代になってきています。例えば、北海道で農業をやっている人の仕事に、東ヨーロッパの牧場の状況がすぐ反映する時代です。地方と世界が直結しているんです。だからこそ情報が、地方こそ必要だということです。
そのために、新しく情報のシステムを作ることは大変です。誰でも考えつくことですが、すでにあるものにちょっと手を加えて、新しい役割を果たさせるということ。これは定石です。そういう意味では、図書館にちょっとお金と工夫を加えれば、情報提供機関として生き返るわけです。
浦安の図書館での利用者アンケートの結果で、「図書館が仕事の上で役に立ったことがある」については、「よくある」が36.8%、これはかなり高いと思われます。3 人に1人以上の人が、図書館を仕事に使っているということです。職業別比較では、自由業(商店をやっている人、中小企業の人など)の58.3%の人が、浦安市立図書館で仕事上役に立つ情報を手に入れたと答えているんです。これはサンプル数が2000くらいですから、充分信頼性があるものだと思います。一般勤労者(サラリーマン)が46.7%です。これは「よくある」です。「少しある」も入れたらもっと多い数になります。
趣味・教養ということではなく、地域に対する情報の提供、しかも経済の活性化という一大課題について、解決するところまではいかないかもしれませんが、その気になって情報提供すれば、このくらい役に立つ可能性を持っているということです。
〈地域への医療情報の提供〉
次に医療ですが、これも「自己判断・自己責任」に関連があります。インフォームド・コンセントという言葉をお聞きになったことがあると思いますが、自分の医療は自分で決めるということです。そのために、主治医と議論をするということで、アメリカで1960年頃始まったものです。いままでは、アメリカも日本も、家父長的に「俺に任せろ」でした。日本人の99%の人は、たまたまかかったお医者さんにおなかを切られているわけです。
「がん生存者」という記事は、栃木県の県立がんセンターの所長を退任して、ボランティアでインフォームド・コンセントの患者の相談を受ける活動をしている小山さんという方の書いた文章ですが、アメリカではある種の病気については56%がセカンドオピニオンを得ている。半分以上の人が、主治医以外の人から自分の病気の情報を得ているのです。日本とずいぶんな違いではないですか。
これについてアメリカでは、医学の専門家が、図書館員の資格を取って公共図書館に配属されています。「医療専門司書」と言いますが、医師と同じデータベースを使って、相談にのってくれます。それを持って自分の主治医のところへ行って議論をするわけです。日本でも乳ガンの手術をめぐって、切るべきか切らないべきかと大論争をしています。そんなことを知らないで病院に行ったら、スパッと切られてしまうわけです。高齢
化してくるとますます問題が大きくなり、自分で自分の余生をどう生きるか、自分でどういう治療を受けるか、痛みを抑えて元気なままがんの末期を迎えるのか、それとも手術をして、生活にかなりの不具合がでるけれども余命を延ばすのか、などということは、お医者さんが決めることではなく、自分が決めることです。そういう時代になってきているということです。
もうひとつ、ここに関わる問題で、法律問題があります。日本の若手のお医者さんは、インフォームド・コンセントに賛成だという人が多いらしい。もちろん患者が自分の病気を理解すると治療効果が高まるということは色々な調査で実証されていますが、それだけではありません。これからは、日本でも医療関係の裁判が増えるだろうと踏んでいるのです。そのときに、なんの説明もなくおなかを切っていたら、裁判では勝てません。
そこで、患者に責任を持ってもらおうと考え始めているということです。いつのまにか「自己判断・自己責任」ということが、ひたひたと日本の社会に起きているということです。
〈地域への法律情報の提供〉
3番目が法律です。明治時代以来の大改革と言われていますが、少しもマスコミが報道しないので、そういう実感はないですよね。司法制度改革が進み、裁判員制度が始まるいうことはご存じですよね。だいたい17人に1人が、一生のうち1回以上裁判員に指定されると言われています。ここの会場にいるみなさんの中の3人か4人くらいは、裁判員を経験するということです。世論調査をすると、70%の人が「裁判員はやりたくない」と回答しているということですが、これは法律で決まっていますから、粛々と進んでいくだろうと思われます。
裁判員のことばかり取り上げられていますが、今回の司法制度改革の眼目は、いままで国が司っていた法律を、国民全体のものにするということです。そこで「総合法律支援法(司法ネット法)」という法律が、昨年5月に施行されました。各都道府県の県庁所在地に法律の情報センターが作られ、そこを中心にして法律情報の周知、啓蒙が行われます。裁判費用の補助、弁護士の紹介、法律相談などをそこでやるということになっています。
法務省の委託を受けて、富士通総研が出した中間報告の中に、そのセンターだけでは法律情報を市民に周知することは難しいので、公共図書館をその窓口として使うべきだという提言がされています。つまり、裁判以外の、紛争解決のチャンネルを増やすということが、この法律の眼目です。いままで弁護士しかできなかった仕事を司法書士にさせるとか、司法試験を簡単にして弁護士を増やすとか、言ってみればアメリカ型のようなことを考えていると思いますが、そういうことが今進んでいるわけです。つまり、法律の世界からは、公立図書館に対してラブコールがかかっているということです。
さきほどの医療についてもそうです。厚生労働省が、医療制度改革のためには国民に対して医療情報を提供しなければならないと言っています。厚生労働省は、医療専門の情報センターを作ろうと思っているわけですが、それだけでは手薄なので、公共図書館とのネットワークを組みたいと言っています。
図書館員は情報提供の専門家
つまり、ビジネス、医療、法律というところから、公共図書館に対してラブコールがかかっているということなんです。ところが、みなさんがご存じのように、いままで日本の図書館というところは、ビジネス、医療、法律については避けてきました。やってはいけない、そういうものはレファレンスしてはいけないという俗説もありました。それでは、なぜ、医療の本、ビジネスの本があるのでしょうか。弁護士、医者など専門職は、自分が受けた教育、自分の経験から、判断を下すことが許されている。だから専門職なんです。図書館員はそれはやっていけません。法律違反です。図書館員は何をするかというと、情報の提供です。自分が医療の専門職として受けた教育を語るのではなく、専門書やデータベースを使って、あるいは専門機関を紹介するということも含めて、情報を提供するということで、これは禁止されてはいないのです。
この3つを取り組むことによって、初めてと言っては言いすぎですが、社会にとって図書館が本当に役に立つ時代が来ていると思います。その底に流れているのが、最初にお話しした「自己判断・自己責任」型社会への移行ということです。ひとりひとりが自分で考えて、自分の人生をコントロールしていくという時代に、必要充分な相対化ということをしなければならない。色々な可能性を自分の目の前に並べて、正しい選択をしていかなければならない。ということは、考えるための情報が必要である。その情報を一番持っているのはどこか、それが図書館であるということです。そのためには、情報提供の専門家を図書館にきちんと配置して、市民に対するサービスをしていかなければならないのではないか、ということです。
指定管理者やPFIなど、運営形態についてはどれがいい、悪いと言うつもりはありません。それは日本図書館協会も同じです。直営でもひどい図書館はたくさんある。ただ問題は結果、評価です。今お話ししたような情報提供をきちんとできるかどうか。PFIでも、指定管理者でも、一定のコストをかけて、それなりの人間を配置しなければ、それだけの効果は発揮できません。
指定管理者が、だいたい3年、5年、10年という形で契約するのですが、そこに名乗りを上げた企業が、3年後、5年後、10年後の入札の時に、その仕事を取れると決まっているわけではなく、入札で破れる可能性があるので、そのために正職員を雇うということはありえません。基本的には、非常勤職員を雇うわけです。そのときに、それなりに給料を払って、専門的な人間を押さえられるかどうかということです。
残念ながら、今行われている指定管理者やPFIは、人件費の積算が、都市部でだいたい7〜800円、地方では4〜500円です。この金額では、ビジネス支援、医療情報・法律情報の提供をバリバリやるような人間を雇うことは、かなり厳しいのではないかと思います。そこから先は、各自治体の政策的な判断です。市民の方、議員の方、首長が、安いコストで、いままでどおりの貸本屋でいこうというところは、それでいいかもしれません。
今お話ししたような、地域の最大の課題である経済の活性化ということを考え、さびれた商店街に図書館と駐車場を作って、人をそこに大量に引っ張ろうと考えている自治体もかなりでてきています。これはもう浦安で実証されていることですが、人口15万人の浦安で、図書館に来る年間のべ来館者数が85万人、それだけの吸引力があるんだから、それを商店街に置けば、それだけの吸引力が生まれるということですよね。
本気で地域の経済の活性化に取り組もうと考えたときに、ただの貸本屋ではどうなのか、低い時間給ではどうなのか、という判断が出てくると思いますが、ここから先はまさに各自治体の生涯学習の「自己判断・自己責任」の範囲になるだろうと思います。、
アメリカ、アジアの図書館政策
最後に、アメリカのちょっとおもしろい例を話したいと思います。
シムズベリーという、日本で言えば本当に町村レベルの、人口2万6千人の小さな町があります。ニューヨークから車で2時間の、非常に自然がきれいな街です。ただ、税収が減ってきたので税収を増やしたい。大企業を誘致すれば、すぐに税収を増やせますが、自然を壊したくないと市長も住民も考えた。そこで、自分の町の産業構造をよく調べたら、いわゆるSOHOという、規模の小さな事業体がたくさんあるということに気がついて、こういう小さな事業体をたくさん増やすことで、税収を増やしたらどうかと考えました。
そこで、この町の人たちが出した結論は何か。図書館員を雇ったんです。ビジネス専門の図書館員です。この方は女性の方ですが、仕事の半分はレファレンスをしていますが、あとの半分は図書館から出て町を歩き回っています。レストラン、花屋さん、パン屋さんに行って「仕事で困っていることはない?」と聞いて回るんです「税金対策で、。わからないことがあるんだけど「最近のトレンドがわからないんだけど」と質問され」ると、図書館に帰ってきて、全米のネットワークを使い色々なヒントを集めて、レストランや花屋さんに持って行くという仕事をしているんです。それによって税収が増えてきているということで、この図書館は全米のベスト100の中に選ばれています。
アメリカには1万5千くらい図書館があります。日本には2千8百くらいです。人口は2倍ですが、図書館の数は8倍ぐらいあるわけです。国全体で図書館に使っている税金の額を比べると、日本の7〜8倍のお金を使っており、根本的に政策の力点が違うと言ってよいと思います。アメリカの場合には、それに加えて寄付があります。寄付金を入れると、日本の10倍弱だと言われています。わかりやすい例だと、日本の国会図書
館に800人働いていますが、サンフランシスコの市立図書館に働いている職員が同じくらいです。このように比較してみるとわかると思います。
ゴア副大統領の情報ハイウェイ構想により、アメリカのインターネットは一気に進んだと言われていますが、その中に、公共図書館がしっかり位置づけられています。ですから、私としては、国の施策として図書館をもっと見直すべきだろうと考えています。
では、アジアはどうなのかというと、韓国では1992年に大統領自らが図書館振興法という法律を作っています。政府の中にも継続的な図書館の審議会があり取り組んでいます。e−bookというオンラインでパソコンで本が読めるというシステムも、日本よりはるかに進んでいます。
中国では、上海市に日本の国会図書館と同じくらいの規模の図書館が建っています。
そこにいくと、世界中のビジネス関係の新聞・雑誌が読めます。日本には、世界中のビジネス関係の新聞・雑誌が読めるところはひとつもないのですが、上海にはすでにあるんですね。もっと驚いたのは、南京市に去年の秋、新しい図書館ができましたが、ここの延べ床面積が日本の国会図書館と同じ7万平米です。市立図書館が、なぜ日本の国会図書館と同じ規模なのでしょうか。
つまり、欧米だけでなくアジアでも、図書館は情報政策の中に位置づけて、ビジネスなど、非常に重要な情報を提供するということに取り組んでいる。どうも先進国の中で日本だけが、趣味・教養というところでウロウロしているという気がします。今お話ししたような役割を、本当に図書館が担えるのであれば、ふつうの首長だったら、予算と人が付かなければまずいと思うわけです。ですから、趣味・教養も重要ですが、まず首
長や議員が抱えている問題解決を図書館が図れるということを言い切ることです。まずこちらが提示することだと思っています。
質疑応答
〈質問〉
情報は切り取り方によって、操作ができる。公共図書館で情報提供をするとき、「必要充分な」というのはどのように判断したらよいのか。誰が判断するのか、尺度はあるのか。
〈回答〉
これは非常に重要なポイントで、難しいところです。客観的に100%必要十分というのは、なかなか難しいと思います。しかし、必要充分の度合いが、50%の段階と80%の段階では、明らかに導かれる結論の正確性が違ってきます。もしタイムマシンで1年後の世界を見ることができれば、100%正しい結論を判断できます。しかし、タイムマシンはないので、推測するわけです。推測するときに情報が多ければ多いほど間違いは小さくなってくいくということは一般的に言われていることです。統計的にも証明されていますが、判断のデータが多くなるほど、間違いは減っていきます。あくまでも相対的なことです。0と比べれば10が、10と比べれば50が、50に比べれば、80,90がいいということで、100%に限りなく近づくための努力をするということが重要です。
もうひとつは、情報というものは、扱っていれば勘が働いてきます。これが専門家なんです。デザイナー、医者、教師、弁護士など、専門家が一般人と何が違うかと言うと、経験や知識の量が違うということは当たり前ですが、専門家の重要なポイントは「勘」です。「なぜかわからないけど鼻が利く」ということです。
これは図書館の本を集めているときも同じで、知識として、体系的に集められる部分と、経験的に、直感的にわかってくる部分があります。そういう経験を積めるような環境を用意するということが重要です。そういうものについての知識、経験があって、得意とする人間を、さらに一定期間そこにおいて訓練するということが重要です。ですから、1〜2年で交代してしまうのでは、そういう勘のようなものが育つことが非常に難しくなるということです。
よく言われることですが、専門職は本を選んでいるときに、この本だったら市民のAさんが、この本だったらBさんが読みそうだということが浮かぶくらいになってくるわけです。そのくらいでないと、今お話ししたようなバランスの取れた情報の収集は難しい。
アメリカなどでは、情報の信頼性というものを図書館員が担保していくんだということまで言われるところにきています。つまり情報の裏付けをとり、この情報はどのくらい信頼性があるかということまで評価することが、図書館員の仕事の範囲になってきています。
情報というのは自然に生まれてくるわけではなく、一定の立場の人が一定の思い、一定の思惑のもとに作るというものが、そもそもの情報です。完全無欠に中立の情報などというものは、世の中に存在しないんです。ですから、最終的に言えば、この情報についてはどのくらい問題性がある、この情報はこういうところが欠けているということ、「情報についての情報」を同時に提供することが、本当は望ましい情報提供なんです。
それによって情報をもらった人間は、この情報がどういう性質をもっているかを知った上で、その情報を使うわけです。本当は、そういう情報提供の仕方を図書館ができるようになることが理想的だと思います。